「DISTANCE」について
宇多田ヒカルの「DISTANCE」が好きだ。好きを通り越して愛している。
それは、実際の恋愛なんかよりも真正なる愛で、僕は、他の人間がこの曲を一番好きと言っているのを見ると、そいつを殺したくなるし、この曲を好きだと言っているのを見ると、そいつを褒めたくなる。
ある一曲に病的なまでの執着を持つ。病的にというのは致命的にという意味で、カルト的にという意味ではない。生で「DISTANCE」を聴いても、マイケルジャクソンのライブみたいに失神することはない。けれど、もし世界からこの曲が消えたなら、自分も一緒に消えたいとは思う。想像するとそんな気がする。銀婚式を迎えたばかりの夫婦の愛の記憶が一瞬にして消去され、「あなたは誰でしたっけ」と告げられる。ひどく傷ましい。
「DISTANCE」への愛は致死、つまり(念のためあらゆる方向からこの愛を形容するが)母親が子供を生んでから2週間だけ持っている絶対的な愛のように真正だ。
一切の雑念無しに、一つの曲を最初から最後まで聴き通す機会はそうない。オーケストラを100回観に行って、1回あるかないかぐらいなわけだから人生に1回ある方が珍しい。けど僕は「DISTANCE」に対して、これを試みたことがある。精神はすぐに壊れそうだった。
自分の耳と脳みそ以外を全て消し去る意識で、「DISTANCE」を聴くことだけに集中する。音楽と歌詞が耳に入ってくるのではなくて、僕の方が「DISTANCE」の方へと入っていく。「DISTANCE」の中に完全に入ると、徐々に息は整わなくなる。1番のBメロに入るタイミングで精神は壊れそうになり、再生を停止した。
「DISTANCE」を聴く
・「DISTANCE」を100回聴く。これは短い期間で達成されるべきものではなく、最低でも2年の歳月を経て、実に丁寧に達成されるべきである。
・「DISTANCE」を50回聴いたら、「FINAL DISTANCE」を聴く。
・「DISTANCE」を聴き始めてから2年を経て、100回目を聴いたとする。そこからは自由に聴くことができる。丁寧に聴く必要も無くなる。
・再生回数が150回を上回ったと感じたら、「DISTANCE -m-flo remix」を聴く。
「DISTANCE」を聴く時にある特定の誰かを思い浮かべるなどということは絶対にない。
ここに「DISTANCE」の一節を書くなんてことは絶対にしない。
これはフィクションであり、ノンフィクションでしかない。
「DISTANCE」を聴いてくれ
了
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