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我慢弱い

大学で動物行動学という授業をうけているんだけど、
その中で衝動的な行動と理性について学んだ。

最近も思うけど私は本当に衝動的というか、
情けないくらい理性を欠いてしまうことが多くて恥ずかしい。
それ故の失敗も数えきれないほどあるし、そのうちのいくつかによる悩みは現在進行形だ。

もうどんなに頑張って我慢しようとしても、
相手の好き嫌いに関係なく、
違和感を感じたことを口に出してしまう。
でも友達とか初対面の人に無礼なことを言ったりすることはなくて(と自分では思っていて)、
それは私が嫌いという感情と好きという感情を抱いた相手にしか自分の感情をぶつけることができないからだと思う。
言い換えると、この人には嫌われてもいいという覚悟と、この人には嫌われないだろうという甘え。
感情をぶつけることができる相手というと良く聞こえるかもしれないけど全然そんなことはなくて、
理性的である方が人間として美しいのは分かってる。
だけどそこまでして、そこまでして誰かと一緒にいる意味は?とどうしても思ってしまうんだよね。その感情が相手に関すること(仕事とか、友達関係とか、容姿とか)についてならもちろん口を噤むべきだけど、私についての主張ならば。
今もまさにいくつかの事を相手に伝えるべきか、伝えないべきか悩んでいて、
それを伝えなければ円滑に物事が進むのだけど、
唯一私だけが納得していない。
さらにそれを伝える事で私にとって有利になることはなにもない。
だからこそそれを相手に伝えないのは自分から逃げているんじゃないかという考えと、
私が何も言わなければ相手も自分も嫌な思いをしないで済むという安心の狭間で悩んでいる。
私は辛い環境から逃げることについては賛成派の人間で、部活も仕事も家庭も責任を放棄してでもつらければやめればいいと思うのだけど、
自分の中で自分から逃げるとあとでとんでもない災いが起こるんじゃないかって、怯えてしまってどうしようもない。

話を戻すとその授業では、人間のいちばん古い記憶は8割くらいの人が嫌なことで、
それはマイナスな記憶の方が残りやすいからとも言っていた。
偶然にもわたしの最も幼い記憶は人生はじめての我慢で、なんて生まれつき我慢弱い人間!と笑ってしまった。
死なないと治らないと開き直って諦めるのは、成長からの逃げですか?

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