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この世界の片隅に

穏やかな生活を願っているけれどそれは毎日が平坦であることや感情の起伏を抑えることとは違って、わたしはやっぱり、波風のない空気は吸いたくない。
理不尽な大きなものの暴力をうけずに、感情のままに動くことが愛嬌の範囲として許される生活がわたしの求める幸せだと気づく。

何度も言うけど、昨日映画館で観たこの世界の(さらにいくつもの)片隅にが素晴らしかった。
主人公のすずさんが途中までそうであったようにぼーっと生きることの素晴らしさは確かにある、だけどそれは永遠に平和が保障された世界の中での話で、もちろんそんな世界であることを望んでいるけれど、残念ながら今の日本(当時の日本も)はそうではない。
映画のシーン、どこを切り取っても胸がギュッとなる。
みんなが笑って過ごせればいいね、どんな人間にも居場所はある、だからこそ自分で決めなさい。というメッセージ。
日本が降参して、それまでたくさん我慢してきたのにと、暴力(大きな力)に屈するしかないといって泣くすずさんの姿がいまのわたしたちと重なった。

わたしは暴力がいとも簡単に子どもたちの生活を奪う決断をしたことを怒っている。大人たちが子どもを育てるという覚悟をもっていないことがあらわになっているのを情けないと思う。色々な意見があるのはわかるけど、子どもを産むことができる身体に生まれた以上、子どもを産むことと仕事を続けること、自分の生活を守ること、天秤にかけなくてはいけないのは当然だし、自分の決断を周りのせいにしない勇気をもたないと自分のことは守れない。なんで女性だけが我慢しないといけないといけないのかという人、子どもを産むことができる女性だけの幸せを、独り占めしたって良いと思う。病気とかその他本当にどうしようもない事情もわかるし、いちばん悪いのはもちろんそうさせる暴力だけど、幸せになることから目を背けてはいけないと思う。

私の好きな歌手のカネコアヤノさんも、燦々と言う曲の中で
「しっかりとした気持ちでいたい
自ら選んだ人と友達になって
穏やかじゃなくていい毎日は
屋根の色は自分で決める
美しいから ぼくらは」
と歌っている。

自分の生活が、自分以外の意志によって支配されないような道を選ぶこと、喜怒哀楽を示しても最後には笑い合える相手がいること。
わたしにはそれが大切で、もう恥ずかしがったりなにかを躊躇している暇は無いと思う。言いたいことを伝える、やりたいことをやる。

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