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太郎の時々日記・愛知用水を見に行く

こんばんわ。タロウです。
今日は愛知用水を見に長野県から岐阜県、愛知県へと行きました。

なぜ愛知用水かというと現在頂いている絵の仕事(そう。。実はわたくし画家なんでござんす)で愛知用水をテーマに書いていましてリサーチとして実際に見に行きました。と言っても愛知用水は愛知県の南北を貫くように知多半島の先端、またその先の島々まで通っていまして全てを見るというよりは部分部分をちょこまかと見ました。

愛知用水の簡単な説明をしますと大昔から知多半島は水に乏しく、農業を営んでいる方はとても大変な思いをしていたそうで、もちろん生活用水もとても貴重に使っていたのだとか。第二次世界大戦の終わった直後大干ばつに襲われ農家の久野庄太郎さんが遂に立ち上がります。遥か遠い木曽川から水を引っ張って来ようと考えたのでした。そして手弁当で活動を始め遂には国、世界銀行をも動かしてしまうビックプロジェクトに。そして1961年水源確保の為の牧尾ダムと用水の水路が完工し遂に命の水「愛知用水」が知多半島先端まで届くのでした。。

という感じでとても簡単に書いてしまいましたが完成に至るまでは物凄い多くの物語がありとてもここでは書ききれない程です。

僕は関東生まれで愛知用水という名前すら聞いた事がなかったので(多分僕が世間知らずだったのかもしれませんが)そんな事があったなんて、、という感じでカルチャーショックに近いような衝撃があったように思います。

60年経た今現在、愛知用水はどうなっているのだろう?と興味が湧き見に行きました。最初に行ったのは愛知用水の取水口がある岐阜県加茂郡八百津町の兼山ダムです。(少しややこしいですが兼山ダムの右脇に愛知用水に流す為の水を抜き取る取水口というものがある感じです)

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大きく見えているのが兼山ダムで写真右端の真ん中ら辺、柱4本の上に窓が3つ並んでいる部分が愛知用水取水口です。

ナビを頼りに到着した場所がダムや取水口から一番近い管理所だったのですが祝日でやっておらず「どうしようかなぁ。収穫0かなぁ」と思ってGoogleマップを開くと近くに金山城跡という何やら良さそうなプレイスがあり、しかも山頂らしき場所に。「これは良いかも」と思い急いで車を走らせ辿り着くととても見晴らしの良い城跡に到着し、そこで持ってきたお弁当を食べ、満足のいくまま写真をパシャパシャと撮ったのでした。よしっこれでとりあえず満足。

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次回に続く

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