Form of freedom

先日久しぶりにディーラーのアルバイトをした。これまで一度も就活をした事がないので勿論カーディーラーなんかではなく、ポーカーというゲームでトランプを客に配る方のディーラーだ。椅子に座ってカードを人数分配ってはチップを数えたりするだけなので肉体的疲労は一切無いのだが、久しぶりに沢山の人間と顔を合わせたせいか精神的にはドッと疲れてしまった。

かれこれ4年近くやっていた職業なので慣れたものだが、特別給料が良いということもない。主に働く場所も「アミューズメントカジノ」と言って、お金を賭けずに参加費を払ってカジノゲームを遊ぶ場所だ。クオリティの差こそあるが、仕組みはディズニーランドみたいな感じだと考えてもらって差し支えない。だから給料も普通のアルバイトとあまり変わらない。背負う責任の量が非常に小さいからだ。僕は妥当だと思っているが、「専門職だから」と金の流れがわからずに欲張りになる人間も多い。

仕事は楽だし、誰もお金を賭けないので負けすぎても絶望する人がいない、極めて健全かつハッピーな職場だ。僕が本場のカジノにドハマりするきっかけである。

「ミイラ取りがミイラになる」のではなかった。
「ミイラごっこを紹介していた人が本物のミイラになった」のだ。

一般的に接客業のスタッフは仕事で出会う客の事が嫌いな人が多いだろうが、僕は平和主義で人とコミュニケーションを取るのが好きなので客にカジノの良さを伝える事が好きだった。面白さを伝えるために用意した熱が自分に引火してしまい、結果フィリピンで火ダルマになった。

あまりにもニッチな産業なのでしばしばディーラーの数が足りなくなり、時々こうして辞めた後も呼ばれる事がある。今回も人が足りないので呼ばれた。無職になってから半年。ゴワゴワだけど切らないマリモのような髪型で行って知り合いみんなに不潔だと言われ

「これがかつて人間がいた社会…」

と200年ぶりに地球に戻ってきた人間のような気持ちになった。
4年もやっていたので後輩も多く、そろそろ退職する者もいたのでどうするのか聞くと、少し休んでから就職すると言うのだ。

「一度無職になると誰にも怒られないからどんどん堕ちていくぞ」

と言ったが、これはほとんど自分の話だった。

退職後、好きな時間に寝て好きな時間に起き、好きなタイミングでパチンコに行き、金がなくなれば借りていた。一瞬で半年が過ぎた。

半年は長い。赤ん坊なら言葉を覚え、資格試験なら合格するくらい長い。一方僕は、寝て起きて時々パチンコをしていた。

そして人は水だ。重力に似た堕落という力に抗うためには「目標を叶える意志」か「社会生活を強制される環境」が無いと低き低きへとどこまでも堕ちていく。僕は誰にも怒られない現状が幸せすぎて毎日動物のように生活した結果、社会への合わせ方を完全に忘れてしまった。たった1日の労働で顔が土気色になるほど疲れる。これは体力の問題なんかではない。環境に適応できなくなってしまったのだ。

金に興味はないが、生きるのに金がいる。こうして無職の「動物」であり続ける事を許す世の中ではない。我々人間はそんな自由を放棄した代わりに、助け合う社会性を獲得してしまった。
無職は自由だ。何もしなくても、誰にも怒られる事はない。何もしないまま生きて、死んでいく。でも気づいてしまったのだ。
「もう誰にも怒られたくない」と。
気づいてしまった僕は、もう2度と気づく前の僕には戻れない。トトロを見る前の自分になることはできないのである。大変だった日々も、無職になって振り返ればただ毎日パワハラを受けていた最低の思い出になっていた。

無職になるデメリットは収入がなくなることだけではない。

僕が生きていくには、人間は進化しすぎてしまったと気づいてしまった。

集まったお金は全額僕の生活のために使います。たくさん集まったらカジノで一勝負しに行くのでよろしくお願いします。