第一開『秋』ねん

過去を思い出しやすくなる季節だと思う。心の隙間にぴったりとはまるのが気持ちよくて、つい手離せなくなる。小学生のころ、秋はなんだか寂しくなる、と話友達だったホームレスのおじさんに言うと、手に持っていた鈴カステラをひとつくれた。生まれてはじめて食べた鈴カステラは冷え切っていて、固くて、味があまりしなかった。

秋生まれである。お祭り気分の夏が終わって身も心も寂しくなった頃に誕生日が来るのはあまり好きじゃなかった。毎年秋の気配を感じると、もう永遠に夏は来ないんじゃないかと思ってしまう。夏に身ぐるみ剥がされて、これからの厳しい季節を身一つで耐えなくてはいけないような気分になるのが嫌だった。

夏に囚われたものが多い。 

実家の家族はみんな夏が大好きだった。夏が終わりもの悲しい気分の時は甘いものが欲しくなるのか、秋になると家には甘いお菓子や果物がぐっと増えた。その中に枯露柿があった。

枯露柿とは柿の実を乾燥させたお菓子(ドライフルーツの一種)で、これがとんでもなく甘く、ありえないほど固い。小さい頃はこの暴力的な甘さも殺人的な固さも好きになれず、遠くに住む祖父から送られてきてもほとんど手をつけずにいた。甘いものに目がない家族が喜んで食べるのを黙って見ていた記憶があるが、少し大人になったのか近ごろ無性に恋しくなる。ちょっとかじっただけで満足することは分かっているのに、どうしても食べたくなる時がある。なによりあの色がとても綺麗なのだ。外側は固く乾燥して白い粉をふいており、とても甘そうには見えない。だがひとくちかじると、てらてらとした、照柿という色があるそうだが、まさに柿そのものの濃い橙色があらわれる。宝石のようなこの色は、生の柿には出せない。枯露柿には、生のままで食べることのできない渋い柿を使う。ひとつひとつ皮を剥き、丁寧に何日も干して(もちろん天気にも気をつけなければならない)できたその柿は、通常の砂糖の1.5倍と言われるほど甘くなる。先人たちはこの栄養たっぷりの干し柿で、厳しい冬を越したのだ。時間をおくと強い渋みが優しい甘さになるなんて、できすぎた話だろうか。

同じ春は、夏は秋は冬は二度と来ないはずなのに、季節は永遠に巡る。これはきっと罰だと思う。もうあの日々は二度と来ないのに、いつもどこかに時空の歪みを探している。ドアをくぐるとき、電車を降りるとき、ふとその割れ目に飛び込めないかと、そればかり考えていた。偶然街中で会える気がして、すれ違う通行人の顔を執拗に見た。それもこれも全部、夏と冬を交互にくぐるような気候のせいだろうか。あの日隣で泣いていた人の顔はどうしても思い出せず、黒い影にしか見えないそれはしかし私には泣き止ませることができない。
これは罰だ。
桜が咲いて雪が融け、草木は芽吹くことを忘れてただ眠る。あっという間に散ってしまう花を、夕焼けが沈みゆく海を、いつだって人間は人間のためにあると思っている。滑稽な御都合主義者たちを嗤うべく、おびただしい数の生命がじっと土の中で待っている。

ホームレスのおじさんは初雪が降った日に突然死んだ。失くしたものはこんなにも都合よく忘れている。

鳴らないはずの鈴の音が、ずっと聞こえる。

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