第七開『縛る』.原井

 みなさん、今日も何かに縛られてますか? 今日も何かを縛っていますか?
 縛るとか縛られるとか、過激なプレイの話でもはじまるのかと思った方、ちょっと待って。
 あいにくと、私はそこには門外漢です。
 そうではなくて、もっと精神的な領域の話をしようと思います。
 さて、人間の活動を心理的・社会的に縛るものといえば所属する大小さまざまな共同体の明示的あるいは暗示的な規範ということになりましょうか。前者の例は法律や校則、後者の例は職場や家族の「暗黙のルール」ですね。
 ただ、まあ、しかし、こういったものは、それに縛られているということに気がつきやすい。
 厄介なのは、みなさん、我々がそれに縛られていることにすら、なかなか意識を向けられないにも関わらず、我々を縛っているものでございます。
 いま「意識を向け」ると書きました。そうそう、ジグムント・フロイトの偉大な“発見”に、「無意識」がありましたな。かのデカルトが少しでも疑えるものは徹底的に疑った挙句に、「われ思う、ゆえにわれあり」との言葉を残したのを皮切りに、西欧では人間理性を無邪気に信奉する態度がはびこっていたのでありますが、フロイトに言わせれば、我々人間の精神活動の「主役」は、我々に自覚できる理性=意識などでは全然なく、我々にはコントロール不可能な無意識であったということが、わかってしまったのでありました……というのが、だいたい言われている大雑把なストーリーですな。はい。
 ま、この説明は大雑把にもほどがあるものでして、その道の方にはお叱りを受けてしまいましょうが、それはそれ。私の説明は話半分程度に読んでいただければよろしい、という予防線を張っておくことにいたしましょう。
 ともかく、無意識は、我々を縛る。
 それから?

「うむ。この世で一番短い呪とは、名だ」
「名?」
「うん」
晴明がうなずいた。
「おまえの晴明とか、おれの博雅とかの名か」
「そうだ。山とか、海とか、樹とか、草とか、虫とか、そういう名も呪のひとつだな」
「わからぬ」
「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」
(夢枕獏『陰陽師』)

 有名な小説の一説でございまして、「呪」なるものが端的に説明されておりますな。
 ここで清明が言うように、「呪」は「ものを縛ること」であり、「この世で一番短い呪とは、名」である以上、私もみなさんも誰もかも、自分の名という呪に縛られているのです。

「たとえば、博雅というおぬしの名だ。おぬしもおれも同じ人だが、おぬしは博雅という呪を、おれは晴明という呪をかけられている人ということになる―」
しかし、まだ博雅は納得のいかぬ顔をしている。
「おれに名がなければ、おれという人はこの世にいないということになるのか-」
「いや、おまえはいるさ。博雅がいなくなるのだ」
「博雅はおれだ。博雅がいなくなれば、おれもいなくなるのではないのか」
肯定するでも否定するでもなく、晴明は小さく首を振った。
「眼に見えぬものがある。その眼に見えぬものさえ、名という呪で縛ることができる」
「ほう」
「男が女を愛しいと思う。女が男を愛しいと想う。その気持ちに名をつけて呪れば恋―」
(夢枕獏『陰陽師』)

 いかがでしょう、少しはわかってまいりましたでしょうか。それとも、余計にわからなくなってきたでしょうか。
 ところで、「名」とは言葉のことです。目に見えるものや見えないもの、すなわち物質や概念に名前をつける、つまりは世界のほかの部分から切りとって呼び方を決める、これは言葉の重要な働きです。
 フェルディナン・ド・ソシュールという高名な言語学者がおりまして、言葉とは何かについての彼の主張を端的にまとめれば、「言葉のまえに“モノ”や“コト”は存在しえない、その意味で、我々の知覚する世界は言語によって“汚染”されている」とでもなりましょうか。
 つまり、我々は、言葉に縛られている。
 私がいまこうして書いている文章、これもですね、半分以上は“私”が書いているのではありません。そうではなくて、日本語という言語の言語規則が書かせている。パソコンのキーボードを打って画面に文字が入力されていくたび、「ここまでこう書いたということは、次にはこれぐらいのことしか書けないだろう」という具合に選択肢が狭まってくる。私が書いているようで、私は日本語に書かされている。
 まあ、「そういう話」ですな。
 ご存じなかった? そりゃ、あなた、さては中島敦の『文字禍』も読んだことがありませんね? 怖いですよ、文字の精霊は。
 私たちは言葉というものに縛られているし、同時に、おそらく、他の誰かを自分の発する言葉によって縛ってもいる。
 そのことから逃れることは、できません。
 言葉を使わずに生きることは、できませんから。
 まあ、ただ、縛られていることを自覚すらできていない状態よりは、どんなロープで、どんな風に縛られているかがわかっていたほうが、無理に動こうとして変な格好で転んだりせずに済む可能性が高いというだけの話です。
 それでは、最初の問いをもう一度。
 みなさん、今日も何かに縛られてますか? 今日も何かを縛っていますか?

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