第三開『甘い』.原井

 しまった、と思ったときには遅すぎた。目の前の漢字は、どう見ても間違っている。線が一本足りないような間違え方ならごまかせたが、へんを間違えて書いてしまった。普段なら修正テープでさっと直してしまうところだが、あいにく、書いていたのは履歴書だ。またイチから書き直さなければならない。
 さらに悪いことに、いまの一枚が残された最後の用紙だったということに気がついた。五枚入の履歴書用紙を、五枚とも誤字でダメにしてしまった。鉛筆で下書きをしないからだ、と言う人もいるかもしれない。だが、五枚の中には、下書きの上から清書をしている途中で字を間違えたものもあるのだ。これが自分のしたことでなければ、イヤミたっぷりに叱りたおしているところだ。結局、新しい用紙を買いに出掛けなおすはめになった。
 この件から反省した。見通しが甘すぎたのだ。いつも誤字は少なくない方なのに(加えて、大事な場面こそつまらない失敗をしやすい、という法則は広く知られているところだ)、五回目までの挑戦で正しく履歴書を書き上げられる保証がどこにあったというのか。
 失敗をみこして履歴書用紙を数セットまとめ買いしておけばいいように思うかもしれないが、話はそれほど簡単ではない。実際、今回も、改めて買った用紙の一枚目で、ミスなく仕上げることができたのだ。はじめから数セットまとめ買いしていたら、最初の一枚でうまく書けていただろう。その場合、「無駄に用紙を買ってしまった。見通しが甘すぎた」と反省することになっていたはずだ。
 そもそも、人間だれしも見通しの甘いところがあるものだ。傘を持たずに出掛ければ雨が降るのは言うに及ばない。これから成長するからと大きめのサイズを買った制服は、そでが余ったまま卒業式をむかえる。やり通せば相当な力がつくだろうと手を着けた英語の教材は、やり通す根性がないことを勘定していなかったので三日坊主に終わる。大人になればそのうち結婚できるだろうという見通しが完全に間違いだったと嘆く人がいる一方で、この人となら一生添い遂げられるだろうという見通しが誤っていたために離婚する夫婦もいる。マルクスは、人類の経済形態は進歩の末に共産主義に至ると考えていたが、周知の通り、これはどうやら誤りであるらしい(ひょっとしたら正しいのかもしれないが、それでも、人類が順調に進歩していくと考えたところが、マルクスの見通しの甘いところだ)。
 ことほどさように、先の見通しは甘くなりがちなものだが、特に見通しが甘いタイプというものがあるだろう(私がそうだ)。たとえば、次のような人のことだ。

・自信家である
 己への自信は、えてして気づかぬうちに過信になってしまうものだ。過信は油断を生む。結果として、見通しが甘くなる。

・自信が足りない
 何かにつけて安全策をとりたがる人がいる。自信のなさの表れであるが、このような人は、「うまくいかないこと」を信じすぎている。適切なところを狙うことができないのである。必ず成功すると信じている人がいたらその見通しは甘いと言わざるを得ないのと同様に、悲観的ではあるが、必ず失敗すると信じるのも、甘い見通しだ。

・失敗の経験が少ない
 人生で失敗した経験が少ないと、つい、「きっと今度もうまくいくだろう」と根拠もないのに思ってしまうことだろう。それが甘い見通しでなくて何だというのか。

・失敗の経験が多い
 これまで多くの失敗をしてきた人は、きっとその反省を生かせるはずだ、と思ってはいけない。そもそも、先の見通しの甘さが数々の失敗を招いたのだ。次からは大丈夫だという楽観こそ、見通しの甘さの最たるものだ。

・論理的思考力に欠けている
 常に「なんとなく」で先の予測を立てるタイプだ。こういうタイプは、予測と言いながら自分に都合のいい展開を夢想しているだけである。なんと見通しの甘いことだろう。

・論理的思考力が高い
 ものごとを論理的に考える能力が高い人は、つい、ものごとがすべて論理的に動いていると錯覚してしまいがちだ。その結果、筋は通っているがきっとその通りにはいかないだろう、という甘い見通しを立ててしまうのだ。

 この他にも二百八十六のタイプが考えられるが、説明が複雑になる、よく考えたら重複していた、いま思い出せないなどの理由で省略とする。
 ……と、ここまで書いて筆が止まってしまった。見切り発車で書きはじめたはいいものの、うまいまとめ方が思い付かないのである。見通しが甘すぎた。

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