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(全面改稿・新規書き下ろし)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第25回ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団来日公演1990年

(全面改稿・新規書き下ろし)
エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第25回
ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団 来日公演 1990年


公演パンフレットを紛失していたため、前章と合わせて短い記事にしていましたが、今回、公演パンフレットを見つけたため、新たに新記事として書き下ろします。


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第24回 セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1990年 


https://note.mu/doiyutaka/n/ncd37c413d3a2


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⒈ ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団 来日公演 1990年



クラシックコンサートの公演パンフレットは、無駄にバカ高いのだが、後で振り返ると、その時代感がリアルに伝わってくる。この時の1990年のヴァント&北ドイツ放送響来日公演も、前年にベルリンの壁が倒れて冷戦終結したまさに歴史が大転換する最中だった。この時期、欧州のオケが大変動に見舞われている様が、パンフレットからもありありと実感できる。
この時のヴァントのコンサートは、同じ年にブルックナーの交響曲第8番をチェリビダッケと聴き比べられる、というものすごく貴重な機会だった。本来ならありえない贅沢なシチュエーションは、まさにバブル期日本の真骨頂だったと思う。
聴き比べた感想は、筆者としてはやはりヴァントに軍配を上げたと記憶している。チェリのブルックナーはあまりにも特殊すぎて、一期一会の演奏としては素晴らしいが、もう一度聴きたいか?というと、そうでもない。


※このチケットにご注目を。後援に、なんと西ドイツと、1990年の11月時点ではまだ東ドイツも並んで載っている!

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ヴァント&北ドイツ放送交響楽団の公演、筆者が聴いたのはブルックナーの交響曲第8番1曲のみ、というマニアックなプログラムの日だった。大阪のザ ・シンフォニーホールのC席、3階のRRB1番、かなりステージが見にくい位置だが、7千円している。
このホールでは、3階バルコニーのステージが半分しか見えないような位置でも、演奏はまろやかに空間でブレンドされ、むしろ天井に近い方がまとまって聞こえる。だから、視覚的にオーケストラを全部見たい時以外は、天井近くのバルコニー席の、安いチケットで聴くことが多かった。まだこの当時の筆者は、大学卒業したての教職浪人中で、非常勤講師と家庭教師のアルバイトで働きながら、教員採用試験の勉強に精出す毎日だった。それでも来日オケの公演は聴き逃さないようまめに行っていたが、チケット代はなるべく安いに越したことはなかった。


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この公演は、CBCオーケストラ・シリーズで、学生の頃から主に大阪国際フェスティバルの安い学生席を買って、よく聴きに行っていた。以前は、このシリーズは大阪フェスティバルホールの会場だったが、のちにシンフォニーホールでも開催されるようになり、リスナーにはありがたいことだった。
この時の来日ツアースケジュールを見ると、サントリーホールでの開幕から、相模原で最終日を迎えるまでわずか1週間ほど、駆け足の来日公演だといえる。この前年まで、東西冷戦が終わるまでの80年代、特に旧・東側、共産圏のオーケストラは、長期間の来日スケジュールで、大都市圏だけではなく地方都市の津々浦々まで、精力的なツアーをやっていたのと比べて、やはり旧・西側の有名オケは、スケジュールがタイトなのだろうか、とその違いを考えさせられる。

この公演には、作曲家ペンデレツキが指揮者としても同行していた。当時、筆者はペンデレツキをほとんど知らなかったので、このことがいかに重要か、理解できなかった。聴き逃したのは残念だ。特に、有名な「広島の犠牲者の追悼のための 哀歌』を、作曲者自身が初めて実演で指揮するという公演を、ぜひ聴いておくべきだった。

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ちなみに、この「哀歌」、もともとは広島とは関係なく作曲された、とのこと。そのあたりの事情も興味深い。


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実演で聴いたヴァントのブルックナー8番、これは、以下のCDの解説にもあるように、ヴァントとチェリビダッケの「ブルックナー8番」対決が同年に日本で実現、という、これはもう2度とありえない現象だった。両方聴いたというのは、よほどのブルックナーファン、あるいはよほどのオーケストラ好きだろうと思うが、筆者もその一人だったというわけだ。


※参考CD
ブルックナー交響曲第8番
ヴァント&北ドイツ放送響
1990年来日公演
サントリーホール・ライヴ録音

http://www.hmv.co.jp/news/article/1010080014/

《アルトゥス・レーベル創立10周年記念盤は、ギュンター・ヴァントの来日公演のCD化です。このときヴァントはブルックナーの8番を3回指揮するためだけに日本を訪れ、ほかの曲目の公演はペンデレツキが受け持っていました。
【1990年秋のブルックナー対決】
1990年は、ブルックナー・ファンにとって忘れがたい年となっています。10月のチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの来日に続いて、11月にはヴァント&北ドイツ放送響が来日、両者共に素晴らしい演奏を聴かせてくれたからです。
同じ1912年生まれでドイツで長く活躍した両巨匠の音楽は、ある意味で対照的なものでしたが、それぞれの道を究め尽くし、1980年代に入ってからそのスタイルを完成させたという共通点も持っており、また両者共にブルックナーを看板としていた点でも似ていました。
【求心的で力強いブルックナー演奏】
ヴァントの芸風の特徴は、精緻な合奏を追及し、引き締まったリズムと巧みなバランス配分による明晰なアンサンブルが印象的なもので、克明なアクセントと、基本的には飾らぬ質実剛健なフレージングがそうしたスタイルに独特の魅力を添えています。これらの特徴は、長年の手兵である北ドイツ放送響を指揮した演奏で特に顕著だったようで、この第8番の録音でもそのことは明らかです。
ヴァントはここで、チェリビダッケのように人数を大幅に増強したり、極端に遅いテンポを採用したりせず、楽譜に指定された3管編成を尊重し、内声バランスをも重視した味わい深いサウンドを響かせています。
こうしたヴァントのスタイルは、同じオケとのリューベック大聖堂ライヴとムジークハレ・ライヴでも一貫していましたが、来日公演では体調も良かったのか、トータル83分とテンポもよく、終始一貫して緊張感が保たれているのがポイントです。サントリーホールの豊かな残響も作品にはふさわしく、深みのあるサウンドがブルックナーを聴く喜びを心ゆくまで味わわせてくれます。
【NHKによる優秀録音】
このときの公演の模様は、約2週間前のチェリビダッケのときと同様、NHKによって収録されていますが、ホール内空間に対してヴァント&北ドイツの人数の方が適切だったのか、リマスタリングがうまくいったのか、音質条件はヴァントの方が良く、細部まで克明なサウンドに仕上がっています。第3楽章アダージョでの天上的な美しさから、第4楽章再現部の鬼神のような凄絶な迫力など、ブルックナー8番の稀有な演奏を味わうのに十分なクオリティが保たれています。
実際の演奏でも、トゥッティでは若干飽和気味だったチェリビダッケの巨大サウンドに対して、ヴァントのトゥッティはシャープで解像度の高いものだったので、CDでの印象差も納得のできるものです。(HMV)

【収録情報】
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
ハンブルク北ドイツ放送交響楽団
ギュンター・ヴァント(指揮)
録音時期:1990年11月3日
録音場所:東京、サントリーホール
録音方式:デジタル(ライヴ)
収録:NHK マスタリング:斎藤啓介(アルトゥス)》




ブルックナーの交響曲第8番、これはブルックナーの9つの交響曲中、最も大編成で、最も晦渋、難解な一曲といえる。そのせいもあって、人気の高い7番よりも敬遠されることが多い。筆者は、ブルックナーを最初、4番「ロマンティック」から聴いた。FM番組で、発売されて間もないブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの録音だった。この冒頭のホルンソロにほとんど一目惚れでまいってしまい、それ以来、ブルックナーファンになった。けれども、ブルックナー「オタク」ではない、と断っておきたい。世間のクラシックファンの中に、さらにマイナーな分類としての「ブルオタ」(ブルックナーのオタク)が、少数だが確実に存在する。そのブルオタたちなら、この年のヴァントとチェリのブル8対決も間違いなく聴き比べているだろうし、それ以前に、古今のブル8をCDで聴き比べて、実演での解釈はどうか?などと研究熱心に、もしかしたらスコア片手に客席にいたかもしれない。筆者は、そこまでの「ブルオタ」では、残念ながらなかったため、この時のブル8対決も、むしろ楽曲の味わいを中心に聴いていた。
その結果として、チェリビダッケのアクの強い解釈による8番は、ちょっと遠慮したいなあ、というのが実感だっただけだ。ヴァントの8番は、上記CD解説にあるように、細部が明快で、非常に聴きやすかった。ただ、その聴きやすさが、筆者にはいささか物足りなかったのも確かだ。8番は、1楽章の後半の悲劇的な展開が全曲のキモだと勝手に考えている。だから、1楽章があまりにあっさりとすぎてしまうと、不満が残る。2楽章は聞き流して、3楽章の深刻な表現の深まりにじっくり浸りこむ、そうして一気に4楽章の豪快な音楽に圧倒される、そういう感じでいつも聴いていた。だから、4楽章の冒頭の金管の強奏の勢いにも、注文をつけたい。
それにしても、こんな無理な注文をつけるようでは、やはり筆者もブルオタなのかもしれない。


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ちなみに、ブルックナーの交響曲第8番、この4楽章の冒頭のファンファーレは、自動車のCMに使われていたことがあり、最初にそのCMを見たときは仰天した。誰が選曲したのか、いい選曲センスだなと感心した。


⒉ 北ドイツ放送響と朝比奈隆


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この公演パンフレットにも一文を寄せているように、朝比奈隆は、北ドイツ放送響に定期的に客演していた。その演奏会は放送用に収録され続けていて、記念のCDボックスが発売された時は日本の朝比奈ファンがどよめきたった。何しろ、朝比奈隆の演奏にぞっこん惚れ込んでいるファンたちは多かったし、筆者もその一人ではあった。

朝比奈隆の演奏は大阪フィルの場合も、新日本フィルの場合も、オーケストラの技術が今ひとつで、朝比奈の要求する表現を実現しきれていないのが、いつももどかしかった。それが、欧州で名だたるハイレベルの楽団である北ドイツ放送響との演奏が、しかも録音で聴けるというのは、朝比奈ファンだけでなく、日本のクラシックファンにとって貴重な録音だといえた。

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/