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土居豊のエッセイ【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】演奏会レビュー編 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代〈その4 朝比奈隆と大阪フィル 朝比奈隆のベートーヴェンとブラームス 第九の合唱団での体験もふまえて〉

土居豊のエッセイ【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】
演奏会レビュー編 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代
〈その4 朝比奈隆と大阪フィル 朝比奈隆のベートーヴェンとブラームス 第九の合唱団での体験もふまえて〉


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⒈   茨木市民会館での朝比奈隆指揮 大阪フィルによる第九演奏会に出演


(1)高校生の頃に音楽の授業でクラシックの大合唱を体験

大阪フィルを朝比奈隆が振り、茨木市の有志による第九合唱団がコーラスを歌う演奏会が、1985年12月、茨木市民会館で行われた。そのコーラスに大学1年だった筆者も加わり、初めてベートーヴェンの第九交響曲を歌った。
きっかけは、高校の時の音楽の先生が市民コーラスの合唱指導をしており、演奏会に出るよう誘われたことだった。もともと母校で芸術科目に音楽を選択しており、その先生の授業では年に一回、音楽会で大規模な合唱曲を歌うという体験をしていた。それで第九交響曲の合唱も、いつか歌ってみたいと思っていた。自分の高校時代の音楽会では、モーツアルトの「レクイエム」と、ショスタコーヴィチの「森の歌」を授業で歌った。どちらの曲も、高校生としてはかなり無茶なレベルの混声合唱に、怖いもの知らずでチャレンジした経験があったのだ。
もっとも、吹奏楽部員だったので本番では吹奏楽による伴奏を担当しており、茨木市民会館の舞台で歌ったことはなかった。この吹奏楽による伴奏というのも、ずいぶんと無茶な話で、両曲ともに吹奏楽アレンジなどはまだなかった。そこで、オーケストラのスコアを音域で吹奏楽の楽器に割り振り、乱暴な編曲を生徒自身でやった楽譜で伴奏した。特にショスタコーヴィチはオーケストラの部分が非常に難しく、吹奏楽で演奏するのは至難だった。
さて、その市民による第九合唱団で初めてベートーヴェンの交響曲第九番4楽章のコーラスを練習し始めると、筆者は声域がテノールなのだが第九のテノールパートはとても難しいことが、練習を経るにつれてわかってきた。きちんとしたボイストレーニングをしないまま、無茶な声の出し方をしていたものだから、第九で出てくるテノールの高い声域を、まともに響かせることはできなかった。それでも、若さにまかせて無理やり声を出してがなっていたから、さぞ他のメンバーには迷惑だっただろう、といまでは大いに反省している。
それでも、当時の市民コーラスの常で、男声が少なく、少しでも歌える者は大歓迎されたものだった。


(2)茨木市の第九市民合唱の体験

そんなわけで、第九市民合唱の演奏会当日を迎えたのだが、会場の茨木市民会館は、筆者にとって高校生の時、前述の音楽会のステージ進行などの仕事でも舞台裏を行き来したり、吹奏楽部の演奏会で何度となく使ったりした会場なので、それこそ裏も表も知り尽くしたホールだった。だから本番前、楽屋で大人しく待っていたりせずこっそり舞台裏に上がって、大阪フィルの団員たちがステージに出る様子を舞台袖の物陰から見物していた。
この日の演目は、メインのベートーヴェンの第九交響曲の前に、同じくベートーヴェンの「エグモント序曲」が演奏される。その様子を舞台裏で聴いてやろう、と思っていたのだ。
やがて、オケはステージに並び、朝比奈隆が袖に上がってきた。合唱指導を担当したのは私の恩師の音楽教師だが、朝比奈の側に一緒についてきている様子が、まるで付き人のように腰が低い。物陰から見ている筆者には、高校生に対する際の態度と全く違うのがおかしくてならなかった。
朝比奈隆は、これまで何度も大阪フィルの定期演奏会で間近に見たことがあり、この演奏会の直前練習でも指揮姿を舞台上で見ている。だが薄暗い舞台袖で眺めた朝比奈隆は、ステージ上の姿よりもっと堂々として力強く見えた。比較対象として、音楽の先生がそばでペコペコしているせいもあったかもしれない。朝比奈はやがて袖からステージにゆっくり出て行き、エグモント序曲を演奏した。舞台裏で聴いている筆者には、その演奏はいつもフェスティバルホールで聴く大阪フィルの演奏より、もっと迫力があるように思えた。おそらくは会場の狭さと、舞台袖できく際のくぐもった響きがそう感じさせたのだろう。

本番の第九交響曲では、合唱団が第3楽章の前に舞台に並ぶ。第3楽章を聴いてそのまま、合間をおかずに第4楽章に突入する。合唱の出来は、正直ひどいものだっただろう。けれど合唱団の中に混じって朝比奈隆の指揮に接して歌ったあの時間は、これまでに様々な会場で海外の有名指揮者とオケの演奏を聴いたり、同じ朝比奈隆指揮の大阪フィルを聴いたりした経験を合わせても、特別な感動をともなう舞台経験だった。その感動がなぜ、どこからくるのかわからないままに歌っていたのだが、とにかく朝比奈隆の指揮する姿を見ながら、満席の会場を見つめて歌う十数分間、何か魂がどこかへ飛んでいたような感覚だった。いまでもその時の気分を思い出すことができる。朝比奈隆の指揮の魅力とは、そういう特別な時間を味あわせるところにあるのだということを、身をもって体験した機会だった。


(3)1万人の第九より、市民合唱の方が感動

その後、何度も第九交響曲を合唱で歌った。国内外を問わず、いろんな指揮者とオケの組み合わせで歌った。ウィーンの楽友協会大ホールでも歌ったことがある。けれど振り返って思うと、あの時の朝比奈隆の指揮で歌った市民合唱の第九が、もっとも感動を味わったように思える。不思議なことだ。だがその不思議な感覚が、朝比奈隆のステージでは起きるということを身をもって知った。

ちなみにその当時、鳴り物入りで始まっていた「1万人の第九」にも参加したことがある。大阪城ホールを埋め尽くした1万人前後の合唱と、関西を代表する3つのオーケストラ、大阪フィル・関西フィル・京都市交響楽団による合同演奏だ。さぞかし感動するものだろうと思っていた。
だが実際には、大阪城ホールのあまりに広い空間で、あまりに多い人数で歌う第九は、感動などとはほど遠かった。
そもそも、歌声やオケの音が拡散して、合っているのかずれているのかさえわからない。あれはもはや演奏ではなく、ただお祭りをやっているだけなのだ、と中にいて感じた。
また、もっと少人数の合唱団で、ザ ・シンフォニーホールで第九を歌ったことも多数ある。歌う側からすると、シンフォニーホールの残響の具合はとても歌いやすい。市民会館やもっと大きな会場より、こぢんまりして天井の高いシンフォニーホールの響きは本当に歌いやすい。自分の声が周りの中でもよく聞こえるし、それでいてコーラスとしてのまとまりの響きもよくミックスされて感じられる。合唱というのは、どこで歌うかも大事なのだとつくづく思い知らされた。

※参考
茨木市民会館が取り壊される前、フェアウェルコンサートが開催された

《大阪の茨木市民会館ファイナルコンサート。ラストは蛍の光を会場みんなで歌いました。茨木出身の嘉門達夫さんもステージに。》(作家・土居豊チャンネルより)

https://youtu.be/UsgevkHBKgI




⒉   朝比奈隆のベートーヴェン交響曲第9番の聴き比べ


さて、そういう朝比奈隆の第九に合唱で参加した体験とは別に、朝比奈&大阪フィルのベートーヴェン演奏に、この当時少しずつ触れていた。朝比奈による3回目のベートーヴェン全曲録音が進行している最中でもあった。
筆者が合唱で参加した第九の演奏は客席で聴くとどうだったか、この時期前後の複数の録音を聴き比べて想像してみた。


(1)
https://www.hmv.co.jp/artist_ベートーヴェン(1770-1827)_000000000034571/item_交響曲全集-朝比奈隆&新日本フィルハーモニー交響楽団-6SACD_1401671

ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調 Op.125『合唱付き』
録音:1988年12月15日
豊田喜代美(ソプラノ)、秋葉京子(メゾ・ソプラノ)、林誠(テノール)、高橋啓三(バス・バリトン)
晋友会合唱団
新日本フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)

録音会場:サントリーホール[ライヴ]
《ベートーヴェン交響曲全集 レコーディング世界最多"を誇った朝比奈隆。その数は7とも8とも言われます。この全集は、80歳を超えた「全盛期」の演奏を収録しており、大阪フィル以外のオーケストラとの唯一の全集です。》


(2)
https://tower.jp/article/feature_item/2018/12/19/1110

ベートーヴェン
交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱」
Recorded Live on December 29, 1977 at Osaka Festival Hall

常森 寿子(ソプラノ)、田中 万美子(アルト)、林 誠(テノール)、木村 俊光(バリトン)
大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:木村四郎、久野 斌)

《1977・78年に行われたベートーヴェンの交響曲全曲とミサ曲2曲のライヴ録音を集成〜この盤は朝比奈にとって2回目のベートーヴェンの交響曲全曲録音であり、脂の乗り切った70年代の名演として語り継がれてきた演奏です。》

(3)
https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A007128/VICC-60028.html

ベートーヴェン
交響曲第9番ニ短調
ビクター
1985年録音
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
大阪フィルハーモニー合唱団
大倉由紀枝、藤川賀代子、林誠、木村俊光
会場:ザ ・シンフォニーホール

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(4)
https://tower.jp/article/feature_item/2013/11/14/1103

ベートーヴェン
交響曲第9番 ニ短調Op.125「合唱付」
朝比奈隆(指揮)
大阪フィルハーモニー交響楽団
平田恭子(ソプラノ)、伊原直子(アルト)、林誠(テノール)、高橋修一(バリトン)
石川県音楽文化協会合同合唱団、アサヒコーラス、グリーンエコー、アイヴィーコーラス、大阪メンズコーラス
1972年12月27日(ライヴ収録)
大阪フェスティバルホール
《1973年、朝比奈隆の楽壇生活40周年を記念して学研が制作したベートーヴェン交響曲全集。唯一のセッション録音となったこの全集には、当時65歳の朝比奈の気迫に満ちた演奏が余すところなく収められています。》

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これらの中で一番早い時期の1972年の演奏では、第九の4楽章が特に解釈が劇的で、テンポの動きも激しい。コーラスが弱いのが難点だが、交響曲の演奏としては、のちの朝比奈ベートーヴェンとは印象がかなり異なり、フルトヴェングラーばりのロマンティックな演奏を志向しているように聞こえる。

4つの中でもっとも遅い時期の、(4)の1988年新日本フィルとの全集演奏では、朝比奈がインタビューで何度も語っている「楽譜どおり」の言葉のままに、いかにも原典主義、譜面に忠実な演奏という印象だ。

これら2つの演奏にちょうど挟まれた時期の、(3)の1985年全集の演奏が、おそらく筆者が合唱で参加した演奏のイメージに、最も近いだろうと考えられる。ただ、ビクターのこの85年全集は今は入手困難となっている。
(2)の78年全集のものから10年近く経った時期、いわば過渡期の演奏だろう。それでも、実際のステージの上では、朝比奈の放出する「気」にあてられて非常に感銘を受けたのだから、いつのステージでも、朝比奈の第九の演奏は特別な一期一会感があったに違いない。



⒊   朝比奈隆&大阪フィルのベートーヴェン演奏


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(1)朝比奈隆のベートーヴェン5番

さて、朝比奈の第九を市民合唱で歌った時期からやや後、ちょうど新日本フィルとの全集録音と前後する頃に、大阪フィルの定期演奏会で聴いたのが、交響曲第5番である。実はこの演奏会の目当ては、朝比奈隆ではなくルドルフ・ゼルキンだった。しかし、病気でキャンセルになってしまい、その後、ゼルキンを実演で聴く機会はついになかった。
それと、ぜひ聴きたかったのはベートーヴェンのピアノ協奏曲の4番だ。この頃、ベートーヴェンのピアノ曲にはまっていて、特に協奏曲4番が大好きだったのだ。
筆者のクラシックリスナー歴も数年となっていて、吹奏楽部でホルンを吹いていた頃とは違って、ピアノやヴァイオリン独奏の魅力も少しずつわかってきた。
ピアノについては、ちょうどダニエル・バレンボイムをよく聴くようになっていたのだが、ルドルフ・ゼルキンと小澤征爾の共演でベートーヴェンのコンチェルトを視聴したのがきっかけで、ゼルキンをまとめて聴こうとしていた。
ちょうどそんな折に、ゼルキンが来日して、大阪フィルと、しかも大好きなベートーヴェンの4番をやるという。これはもう聴きに行くしかない!と思ったのだが、結局キャンセルで聴けなかった。
クラシック音楽についてこの当時、老人好みというか、大家好みというか、伝説の巨匠、というような演奏者を好んで聴いていた。それがたたって、せっかく来日公演があっても病気キャンセルで聴き損なう、という体験をもうこれで数回、味わっていた。こののちも、やはり「最後の来日」か?というようなチケットを買って、やっぱりキャンセルという目に何度もあった。
だが、このような老巨匠好みは、一般的に日本人のクラシックリスナーによくあるのではなかろうか。若い頃はそうでもなかったのに、引退間際のような高齢になって俄然人気が高まり、コンサートもチケット完売という例をよくみる。かつてのカール・ベームのブームがそのはしりだった。以来、指揮者ではムラヴィンスキー、ヴァントなど、高齢になってチケット争奪戦になった指揮者は数多い。もちろん、カラヤンやバーンスタインは若い頃からチケット完売だったのが。
近年のブロムシュテットのブームなどもその際たるものだ。若く溌剌としていた頃のブロムシュテットは、正直、とても今のような人気はなかったのだ。
ピアニストでいうと、この時に聴き逃したゼルキンもそうだが、ホロヴィッツ来日のブームが忘れられない。ピアノのような楽器演奏は指揮者と違って、あまり高齢になるともうさすがに聴き苦しい場合が多いというのに、それでもプラチナチケットは完売だった。
こういう長老好みの代表例が、なんといっても朝比奈隆の晩年の神格化だったというのは間違いない。

ところで、この88年の定期演奏会での朝比奈隆のベートーヴェン5番だが、どっしりとして悠揚たる演奏だった。曲はもちろん何度も聴いたことがあるし、いろんなテンポで、いろんな表現で演奏されるものを聴いて知っていた。それらの中でこの時の朝比奈の5番は、出色の名演だったことを覚えている。
大阪フィルの演奏も、以前とは比べものにならないぐらい上手になっていた。特に、コンサート・マスターにジェラルド・ジャービスを招聘した時期で、第1ヴァイオリンの音がはっきりと明るい音色に変化していた。ジャービスの優れた演奏リードぶりが、この頃の大阪フィルに非常に良い影響を与えていたのが、演奏を聴き比べるとよくわかる。


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※演奏会データ
大阪フィルハーモニー交響楽団
第230回定期演奏会
指揮:朝比奈隆
独奏:野島稔
(ルドルフ・ゼルキンの病気キャンセルによる代役)

曲目
ベートーヴェン
ピアノ協奏曲第4番ト長調
交響曲第5番ハ短調

1988年2月19日
大阪 フェスティバルホール


(2)ベートーヴェン演奏のあれこれ

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/