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お年寄りから学ぶ多文化共生

昨日のイベントについて、本当に多くの方のご協力・ご参加に感謝しつつ、いち個人として強く胸に響いたことを書き残しておきたい。


ある介護施設の人事担当者とEPA外国人介護士の方のお話を伺った。

人事の方のお話の中に、「お年寄りから学ぶ多文化共生」という言葉があった。

従来からの日本人職員にとっては、人手不足の中で、膨大な業務をスムーズにこなしてくれる同僚が必要。
なので、日本語が不自由な外国人介護士と一緒に働くのは、いろいろと苦労が多く不満が出るのも理解できると。

一方で、利用者である日本人高齢者にとって大事なのは、「誰がいちばん自分のことを大切に思って接してくれるか」ということ。
この点においては、外国人介護士の評価は高く、利用者から彼女らへの温かい眼差しを見て、日本人職員の気持ちや考えも少しずつ変わっていったのだと。


外国人介護士のMさんからは、入職当初は利用者から「(自分の担当は)日本人職員にしてくれ」と言われたこともあったけど、挫けずに関わり続けていったというお話。

そしてその利用者さんの“看取り”の時、家族のいないその方から「Mさんを呼んで。Mさんがいい」と言われて駆けつけたのだと。

職場や日本社会に受け入れてもらえたと感じるまでには1〜2年かかったけど、プロとして責任を持って仕事を続けていきたいと語られた。


この施設ではMさんが初めての外国人介護士だったそうだけど、今や80人を超える外国人職員が活躍されていて、2つの関連施設では外国人の方が施設長を務めていらっしゃるんだとか。



2007年の秋頃、当時僕が働かせてもらってたところでは、翌年からEPA看護師・介護福祉士を受け入れて日本語教育をするための準備をしていて、僕もほんのちょこっと関わっていた。

その時は、介護・看護の専門日本語を教えるなんてムリでしょーと、本当に狭い意味での日本語教育のことしか考えていなかったなと思う。

その方が職場で誰とどんな関わりを持って働くのか、職場以外の暮らしの中ではどうか、それが少しでもスムーズになるための事前教育ってどんなものか、入職後に誰がどんなふうに寄り添い続けていけるとよいのか。

そんな事にはまったく頭が回らなかった。


ウクライナやアフガニスタン等からの“避難者”、特定技能2号の方々の“定住化”に向けた日本語教育の充実が求められる今、それがどんなものであるといいのかをしっかり考えたい。

日本語教育にできることは限られてるけど、だからこそ、視野を広げて、本来の目標を見失わないように。


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