スクリーンショット_2019-02-25_0

コミュニケーションを諦めない

最近また、「学びたい欲」が湧いて出てくる。

仕事が溜まってそれどころではないと思いつつ、できるだけいろんな場に足を運んでいろんなことを吸収したり、考えたりしたい。

というわけで、今日は横浜で開催された「外国人政策と多文化社会の未来〜かながわで共に生きていくために〜」(主催:(公財)かながわ国際交流財団)におじゃました。

中身はイベントの告知や後日の報告に譲るとして、最後の質疑応答で僕からは「外国人(と日本人)との共生に限らず、外国人同士、同国出身者同士の間にも相容れない様々な問題があり、その解消に向けてどんな取り組みがなされているか」と質問させていただいた。

ありがたいことに複数のパネリストから回答をいただいたが、そのうち、NPO法人WELgee(ウェルジー)代表の渡部さんからいただいたコメントがとても印象的だった。

例えば難民の場合、(結果的・間接的にでも)追い出した側と追い出された側のように同国出身者同士の関係性にはとてもセンシティブなものがあって、第三者であるわたしたち(日本人)には簡単に踏み込めない問題です。それでもわたしたちができることの一つは、コミュニケーションを諦めないことだと思います。母国では対話する機会さえなかった人たちが、ここでは対話できるし、自分の考えを率直に伝えても迫害を受けることはありません。そこから何か変化が起きるかもしれないと期待しています。その人が、いつか母国でリーダーとして活躍するかもしれません。そのとき、ここでの対話での気づきが役にたつかもしれません。もしそうだとしたら、それが日本で「共に生きる」社会をつくる意義の一つだと思います。

なるほど。すごく納得した。

そんな思いでWELgeeが毎月開催しているWELgeeサロンは、とても素晴らしい取り組みだと思った。

いつかタイミングがあったら、参加してみたい。


例えば、ニューカマーとオールドカマー

例えば、在日コリアンの中の朝鮮総連と韓国民団

例えば、中国コミュニティの中の老華橋と新華僑

例えば、ブラジル人労働者の中の企業内転勤とデカセギ

例えば、ビルマ難民の中のロヒンギャ族とその他の民族

例えば、移民1世と2世


こうした人々の間にある摩擦や葛藤をさておいて、日本人との共生のあり方だけを議論したり活動したりしたとしても、「多文化」が「共生」することにはならないと思う。

実際、そこに「日本人」が介入することが難しくても、腫れ物に触ることを避けたままの「共生」は表面的でしかない。

渡部さんの言う通り、コミュニケーションを諦めてはいけないなと思った。


今日のイベントに参加して、僕が目指しているのは「外国人との共生社会」ではなく「多文化共生社会」なんだと再認識できたことに感謝。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?