別居49日目。
別居してからの休日は何だかんだやることがあり、充実してたわけではありませんが、何かと気が紛れてました。
先週末は久々に特別やらなければならないことがない休日で、超絶寂しく感じました。天気も良かったので余計に…
新居に引っ越してきて約1週間。生活基盤も整い、新天地で気持ちも切り替わるかと思いきや、ありあまる時間に虚しさが上回りました。確かに楽です、自分のことだけやってればいいんですから。時間があるなんて贅沢なことなのは理解していますが、まるで行動意欲が湧きません。1月中までは毎週家族で楽しく外出、2月は転換期、3月からは1人で新生活と変化のスピードに順応できていない感じがします。
こういう状況で時間を与えられると、余計考え込みます。ただでさえ考え疲れてるのに。
ひな祭りは何したのか
話せる単語が増えただろうか
新しい保育園などに通っているのか
パパのこと忘れてないか
ウダウダ考えます。そうしているうちに、だんだんと僕のエゴが子供との生活をするためにだけの考えにシフトしていき、嫁一家がやっていいることと同じ、バラバラの生活が終着点になってしまいます。
嫁も子供も戻らず、向こうで別のパートナーと新しい生活をすることがあれば子供のことが余計心配です。連れ子を虐待するニュースを最近よく目にしますし、SNSでも界隈ではよくある話だと目にします。
また、嫁が戻らず子供だけ戻ってきた場合、【母親】の存在が無いまま育てていくのは少し複雑な気持ちです。世の中には僕に合うパートナーが別にいると思いますが、その人を子供がどう思うかは別の話。そこは考えても答えが無いことであり、僕の努力でカバーすべきことですが、やはりシビアな問題です。
友達に言われました。僕は大衆側の考えと行動ではないと。
生活やお金に求めること
人生に求めること
家族のこと
友人のこと
大衆は "なんとかなるさ" という考えのもと物事に対してそこまで深くは考えないが、お前は違う側だと。
”なんとかなる” と気負いしすぎないことは大事ですし、
”なるようにしかならない” と思いますが、
この二つの言葉の前に
”やれるだけやった” が僕の人生には必要です。