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比べること

大学院時代、授業で先生が放った忘れられない一言がある。

「何かを明らかにすることは、何かと比べること」

先生としてはノートにも板書にもない、当たり前の発言だったと思うが、研究職を目指してた当時の僕にとっては、こんなことにすら気付いてなかった、確かにそうだ、と腑に落ちた発言だった。

そして、この発言は今でも度々思い出す。


自分の人生をデザインすること

「好きを仕事にする」

的なフレーズは最近よく聞くようになった。まさに僕自身も、30歳手前まで大学院に在籍し、挫折し、現在も非正規雇用でなんとか暮らしながら、自分の好きを仕事にしようと日々もがいている。

この「好きを仕事にする」には2つの意味が含まれていると感じている。

ひとつは、好きを仕事にすることで、幸せな、豊かな人生を送ろうというメッセージ

もうひとつは、嫌いなことをやっても、それを好きでやる人には勝てないし、そんなには甘くはないから、好きで突き詰められることを仕事にしないと生きていけないよ、というメッセージ

そのためには、もちろん「好き」が何かを明らかにする必要がある。


自分の「好き」

多分、仕事の文脈で言う「好き」は、おいしいご飯が好き、きれいな花が好きといったライトな好きではないだろう。きっと、この中華料理屋さんのチャーハン、油と塩加減とチャーシューのうまさが最高にマッチしていて”好き”だ、他の店のチャーハンは食べられない、くらいのヘビーな「好き」だろう。

僕の場合はトランポリンだ。それこそ、理系の大学院・修士課程を修了した後、もう一度体育系の大学院の修士課程に進学するくらい、指導教員の先生には入る前から博士後期課程に進学します、と宣言するくらいに。理由は子どもの頃好きだったから、楽しかったから、トランポリン一家だったから、色々あるけれども、トランポリンでご飯を食べたいと思った時に、妙な納得感があった。

好きなことが無い、好きを仕事にしたくない、ということも良く聞くが、僕の場合は「好き」じゃないと仕事にできないタイプだったことが幸いした。

この「好き」までは自分の中で完結できる話。


自分の「得意」や「強み」

旅行に例えるなら、「好き」を仕事にするのは目的地の話で、目的に近付くための移動手段が「得意」や「強み」であると思っている。

この「得意」や「強み」については、2通りの手段で僕は自己評価を行った。

一つ目は、他者との比較である。例えば、僕の趣味はダイエットと筋トレで、毎日マクロ栄養素(PFCバランス)に気を付けてご飯を食べ、週に3~4回はトレーニングしないと気が済まない。ストイックだね、と言われるが、全く負担感を感じておらず、むしろマクロ栄養素の計算もトレーニングもやらないと不安になる。他者がやりたくないと思うことでも、僕自身には不安でやらないといられないこと。数値で追い込むことや習慣化したことから外れること、コツコツ反復することが、得意なんだろうと評価している。これは、他者との比較を通して感じたことで、一人じゃ気づけなかったこと。

もう一つは、リフレーミングすることである。長所は短所、短所は長所である、は本心でそう思っていることで、自分の苦手や不得意な部分を言い換えると長所になる。それが「得意」や「強み」になると考えている。僕の場合は、小学生の頃から対人関係が苦手で、いじられ・いじめの対象となったり、友達が少なかったり、今でも人の気持ちが分からないと思うことは多々ある。人とチームを組む、巻き込んでいくなんて、実はとても恐怖を感じている。リフレーミングするなら、比較的孤独に強いんだ、自分で色々進めていくことが好きなんだ、人の気持ちよりも数字や文字を大事にして考えることができる、といった強みに変えられている。多分、チームに所属するよりフリーランスの個人事業主として仕事をする方が得意と感じるし、テキストマイニングや統計分析は趣味の範囲。データや論文から人の心の動きを教えてもらうことも多い。

でも、これらの苦手や短所も、結局は他者との比較で生まれる部分であるから、一人じゃ気づけなかったこと。


まとめると、

「好き」は自分発信なので、一人で気づく部分

「得意」や「強み」は人との比較で生まれるので、一人じゃ気づけなかったこと

そうなるんじゃないかなと思う。僕は好きを仕事にしたいので、好きを目的地に、得意や強みを移動手段として、楽しく幸せに生きたい。

#一人じゃ気づけなかったこと

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