カラテチョップとは何なのか

高校時代(明石)

吹奏楽に明け暮れ「夏のコンクールがすべて」の生活を送る。最後の大会での結果が歴代でもひどく。部長であった自分は、責任を感じていた。恥ずかしいという気持ちでいっぱいだった。地元から離れたかったので、一人暮らしができる京都の大学を受験。偏差値では受かる可能性の低かった、京都の私立大学に奇跡的(まぐれ)に合格。生まれ変わるつもりで京都で一人暮らしを開始。

大学時代(京都)

チャラチャラした大学生活をおくる。「運動できない芸人」レべルの運動音痴なのに「モテたい」一心でテニスサークルに入会。さらに「モテ」のアイテムとして二輪免許取得、そしてバイク(250cc)を購入。3回生の夏に「カッコイイ」という理由で、単身で北海道ツーリングに出かける。3日目にバイク転倒事故(←カッコ悪い)。一カ月間、網走の病院に入院。これが原因で、テニスサークルから距離をおくことになる。運動はできなかったが、イベント係として少しは活躍できていたので(テニスサークルに)「居場所」があったが、自分がいなくても楽しそうにやってるメンバーをみて「俺は必要ない」とウジウジする。そのころ、ゼミで出会ったNくんがインド放浪を計画していて、自分も何か「人と違うこと」をしてみたいという安易な動機でインド旅行に同行する。4回生の春に休学して、4月からインドへ。特に目的がなかったので、何をしに行ったのか今でもハッキリと言えない(笑)。1年いるつもりが、体調が悪すぎる(20キロくらい痩せた)のと、暑すぎで7月ごろに帰国。インドに行ったら何かが変わるという幻想を抱いていたが、結果「インドに行った」という「事実」だけで満足していたように思う。

就職活動

特にビジョンがなく「何となく」古着とか好きだったので、「何となく」アパレルメーカーに。偶然、1社だけ内定。卒業したら名古屋勤務の予定だった。N君が「最後に一発かまそうぜ!」ということで、仲間5人で演劇の自主上演をすることになった。N君自作の「黒い箱」という芝居。出番をまつ舞台袖で今まで味わったことのない、興奮と高揚。「就職なんてしてる場合じゃない!」と思い、勢い余って就職の内定を辞退する。バイトしながら、好きなことをやろう!!という甘い考えのもと、京都での「フリーター生活」開始。「印刷屋」「ブライダルビデオのカメラマン」「病院の夜間当直」の3つのアルバイトを掛け持ち。大学まで出させてもらってフリーターとはなんて親不孝な、という「負い目」は当時は全く無かった。一度きりの人生、悔いのないように生きよう!という「大義名分」があったが、実のところは社会に出るのが怖かったのかもしれない、と今になって思ったりもする。

映画監督

某大学のシネマ研究会に入会させてもらい、8ミリフィルムやデジカメで短編映画を撮る。つまらない映画を撮ってるという自覚はあった。「才能は無いな」と、うっすらと感じてた。でも楽しかった。「桐島、部活やめるってよ」(映画版)で主人公の映画部の前田くんが「映画撮ってると、一瞬だけでも好きな映画と繋がってるって思えるときがあるんだ」みたいなことをいうんだけど、そういう感じだったのかもしれない。

上京

京都にいても埒があかないので、東京の映画学校で勉強することに決める。当時付き合っていた彼女に「オレ、東京行くけどどうする?ついて来てもええけど。」的な、岡田将生か綾野剛にしか言えないようなセリフを完全に上から目線で言い放つ。その態度が直接の原因ではないにせよ、「いい加減で傲慢」な言動に愛想をつかされて彼女にはフラれる。意外にというか、いざフラれてみるとかなりのダメージを喰らい、失意のどん底に落ちる。もう京都にはいたくないので、大急ぎで上京する。急ぎすぎて、所持金5万円とリュックひとつで上京。住むところも仕事も決まってなかった。インドでのバックパッカーのノリで「まあなんとかなるか」という感じ。本当に、住むところと仕事はなんとかなった。若さと勢いがあったのだろう。

就職

一年間、映画学校に通ったあと、映画に近い仕事をしようとテレビ番組の制作会社に就職。いわゆる「AD」というやつになったが、そこは「漆黒のブラック」企業でこのままでは気が狂うと思い、2週間で逃亡する。本当に逃げました(笑)。その後「焼き芋屋」、「赤帽」と職を転々とするが、未来に繋がるイメージがなかったので、長く続けられる仕事をしようと思った。たまたまシモキタのベトナム料理屋がアルバイト募集していたので「ベトナム行ったこと無いけど、タイみたいな感じでしょ」くらいの軽〜い気持ちでバイトを始める。28歳の夏。

ベトナム料理屋

長くは働くつもりはなかった。まだ映画関係の仕事への憧れがあって、シナリオセンターに通ったりもしていたが、社員登用の話があり、いつの間にか結婚していて、「経済的に安定したかった」ので、希望して社員に。その後、店長になる。このころ、母体のコーヒー屋が原宿、渋谷、下北沢にあり、雑貨屋、カフェなどの多店舗展開をしていた。ベトナムカフェが2店舗。ベトナム料理屋は原宿に2店、下北沢に2店。

KarateChop誕生

ベトナムカフェの3店舗目として、当時珍しかった「ベトナムカレー」を出すお店を下北沢に出店。その名も「KarateChop」。きっかけはオーナーが原宿の路上で「KARATE CHOP」というタイトルの絵画に出会い、購入。自身が育った戦後の日本を引っ張って来たキーワード、力道山の「空手チョップ」と重ねて、日本を元気に!という想いも込められて店名に決めたらしい。「KarateChop」が下北沢に誕生したころ、僕は同じ系列の、原宿と下北沢にある合計4店舗のベトナム料理屋を統括するマネージャーのような仕事を任されていた。マネージャーというと聞こえは良いが、完全に中間管理職で社畜だった。絶対的な権限を持つボスから下される指令を従業員たちに行き渡らせるのが僕の仕事だった。当時30歳になったくらいの僕だったが、それまで大した社会経験を積んでなかったので、「正論」ばかりを口走っていた。さらに「無駄にアツく」そして、「自信過剰」だった。そんな僕が4店舗をまとめていかなくてはならない。上手くいくはずがない!!そう、やっぱり上手くいかなくて、結果的に4店舗中3店舗を閉店することになった。会社自体も傾き始めていて、他の業態の店舗もドンドン縮小していった。そして、1店舗だけ残す方針になる。そのお店が「LittleSaigon」。この頃、前妻と離婚話が浮上していた。お店の縮小、離婚話、が同時にのしかかり、かなりキツイ時期だった。クッキーのアソート缶を気がついたら全部食べてしまっていたくらいストレスが溜まっていた。


独立へ

「土井、社長になれ。」定例ミーティングの場でボスからそう告げられ、「はい、喜んで!!」とはさすがに言えず、「ちょっと考えさせていただいてもいいでしょうか、、」と賢明で堅実で聡明で利口な返事をした。そしたら、返す刀に「お前、何言ってんだ。ハイって言えよ!」と怒鳴られた。「え?なんで??」って思った。なにを理不尽なことをと思ったが、当時の僕は4店舗を上手くまとめきれなかった「罪悪感」というか、自分の力不足を思い知らされていて、しょっちゅうボスに罵られていたので、「恐怖」と「自責の念」がよぎって、ついつい「すいません、やります。」って言ってしまった。大丈夫かなと思ったが、心のどこかに「満更でもない」という気持ちもあったにはあった。。。大卒の30歳男。同い年の連中は勤め先で、キャリアを積んで、そこそこの役職のやつもいるだろう。「映画監督になる!」と大見得切って就職せずにフラフラして、いまだアルバイトに毛が生えた程度の収入しかない。これは一発逆転のチャンスかもしれない!そう思えて来た。ボスだって、僕を信頼して言ってくれてるはずなんだから。。。後になって理解することになるのだが、この「土井を独立させようプロジェクト」は会社の資金繰りの戦略のひとつでしかなかった。銀行から「創業融資制度」を利用して多額のお金を借り、「創業&お店買い取り」を実行しました。

LittleSaigon

独立して、有限会社を設立。「LittleSaigon」を買い取る。社長である。しかし実態はまだまだボスの手下、傀儡(かいらい)でしかなかった。なんで??金借りて保証人になってんのはオレだぜ!って、心の中では叫んでいた。けど、もう後戻り出来ない状況だった。ただ、いままでのようにいちいち決済を上に伺わなくていい、という「特権」もあった。思いきって自分の好きなようにお店を運営できるという「喜び」はあった。そして、実際に好きなようにお店を運営した。このころ離婚したばかりで、シモキタの四畳半風呂無しアパートに一人暮らしを始めた。家賃45000円。ちなみに店の家賃346500円(笑)。


現実の厳しさ

お金の計算が「苦手」だったので、「利益を出す」という感覚よりも、「売り上げを上げること」ばかりに気がいってしまっていたように思う。「売り上げを上げれば、上手くいく」という考え方。調子が良い時は何となくうまく回ってるような気がしてたんだけど、売り上げが落ちたときに打つ手が無かった。346500円の家賃を払うには、連日満席状態のお店でないと厳しい。もっと小規模な、一人でも回せるお店に移りたいなあ、と「妄想」し始めていた。当時は「お店を閉める」という発想がなかったので、何とかして盛り返して「いつか大逆転してひっくり返してやろう!」という「一つのゴール」しか見えなかった。今だから言えますが、恐ろしいことです。このタイミングでお店を閉めるべきだったと思います。借金かかえて、貯金もなく、ひたすら返済のために働いていた。クレイジーとしかいいようがない。けど、ほとんどの個人経営者がそうなんじゃないかな、って思う。

KarateChop

まあ、とにかく前に進むしかなかったので、346500円の家賃をどうにか回避する方法を考えていた。その矢先、ボスから、KarateChopを買わないか?という話が来た。渡りに船とはこのことで喜んで飛びついた。冷静になってみよう。いまだからね。前にも似たようなことあったなあ~って。そう、「LittleSaigon」を買い取った時と同じパターン。会社的には、手放したい物件を誰かに押し付けようとしている。またまた、同じパターンにはまってしまうやんけ!けど「閉店」は頭になかったから、唯一の選択肢であった。とはいえお金がなかったので、また追加で借金して「Karatechop」 を買い取りました。家賃は225000円。店の広さは半分以下になりました。最悪の場合、一人で回せる広さ。 けど、不安材料もあった。狭いので、売上の上限も決まってるということ。単体で成り立たせるうえに、「返済分」も稼がないといけないので、目いっぱい売り上げないといけない。といっても単価の上限も決まってるし、冷静に考えると「最初からビジネスモデルが破綻していた」。そういうところの細かい「詰め」が甘かったのは本当に今でも反省している。
僕のキャラとお店がマッチしていて、表面的にはお店は繁盛した。「人気店」といってもいいくらい知名度もあがった。毎日充実していて楽しかった。けど、けど、けど~~~~、お金が残っていきません!そして、いろんな支払いが滞るようになった。ついには家賃が払えない月が出てきて、大家さんに直談判にいったこともあった。もうここまできたら、V字回復をねらうしかないのだが、そのためには資金が必要。しかし、もちろん、無い。。


廃業

軽々しく言うもんじゃないけど、当時、「地獄」とはこういうことを言うんだな、って思いました。商売は楽じゃない。ノリで切り抜けれるほど、簡単じゃない。お金の出し入れを正確に管理できる者が生き残っていくんだ。当たり前のことを言ってますが(笑)。そんなこんなで、ついにどうにもこうにもならなくなり、廃業することになった。廃業を決めたとき、妻(エミコチョップ)は少し喜んでくれていたように思う。ずっと自分勝手に突っ走って、苦労をかけてゴメン。僕もなんだか、肩の荷が下りてホッとした。

修行

お店がなくなり、ずっと家にいて派遣バイトの面接に行ったりしていた。生活パターンが急に変わったので、1か月くらいずっとお腹をくだして、激痛の腰痛にも悩まされた。ずっと、お店に立っていたから、急激な変化に体が対応できなかったんだろうな。もう飲食店はやりたくなかったので、テレアポの派遣社員になろうとしていたが、見事に受からなかった。40オーバーにとって世間は厳しい(笑)。その後、ご縁があってチェーン展開しているベトナムレストランに拾ってもらい(笑)、また飲食店に戻った。そこのキッチンは僕以外全員ベトナム人という「恵まれた」環境だった。結果、1年と数か月働いた。ほぼ毎日、ベトナム人と一緒だったので、ベトナム人のメンタリティを知るには最適だった。しかし、日本人はアジアの中でもスーパー謙虚な人種なので、ベトナム人の強引さにメンタルをやられて、泣きそうになることもしばしばあった。何度も「やめた〜い」って思ったけど、いつかまた店をやる時が来たら(自分がやらないとしても)、この経験がきっと役に立つはずと思い、耐えた。

大村

そして、大村に行くことになった。妻のお母さんのお店を手伝いながら細々と暮らしていこうと思っていた。しかし、オープンしてみると、そういうわけにもいかず、やっぱり。「全力」「戦闘態勢」バリバリにならないとお店を維持していけない。そしてまたカラテチョップが動き出してしまった。


ここまで読んでいただきありがとうございます!

こんな感じで、最初は巻き込まれるようにお店のオーナーになり、実力がないから世間にコテンパンにやられました。経営をナメてました〜(笑)。廃業して、もう2度とお店なんかやるものか!と思ってましたが、またやっちゃってます。もう一度、神様がチャンスをくれたんだと思います。

「もう一回、やってみんね」って(笑)。

いつまでも「カラテチョップ」があり続けて欲しい。お店は誰のもの? お客様のものです。僕らはただ、管理させていただいてるだけ。お客様が望むのもをキャッチして、「カラテチョップっぽく」発信していく。それを喜んでくれる人がいっぱいいるとお店は潰れない。

「カラテチョップ」どこまでいけるか?

それはあなたしだい(笑)。


長文、最後までお付き合いいただきありがとうございました!

感想を聞かせていただけると嬉しいです。
なんかプレゼントしちゃうかも(笑)

2018年11月

46歳の誕生日に。


ええやん

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