見出し画像

人生の「重点」はどこにあるのか?

最近、石川善樹さんの『フルライフ』という本を読みました。文章自体は軽いタッチで書いてあって読みやすいのですが、ひとつひとつに裏付けがあって、個人的にはこういう本、好きです。

本に提示されている大きな問いは、「ハードな仕事と長い人生の”重心”はどこにあるのか?」です。充実した人生をおくるための戦略を時間術として、理論的に説明しています。

本の中では、クラウゼヴィッツの『戦争論』が取り上げられています。クラウゼヴィッツが戦争の重心は軍隊か、都市か。と述べていることに着想を得て、人生にも重心があるのではないか?と、著者は考えはじめます。

そして結論から言えば、著者は人生の重心を50歳にあると述べています。(詳しいことは本を読んでいただければと思います)

しかし、これは自分にとってしっくりがいくものではありませんでした。理解はできるけど、納得できない、そんな感じです。

本のなかでは著者なりの理論づけがあり、それは十分に理解することができました。

そして、そもそも本の冒頭には「みなさんにとって、フルライフの”重心”をつかむ一助となれば、とてもうれしいです。」と書かれているので、ある意味、著者の本を読むことで、「著者の考えにしっくりこない、それはなぜだろう?」と考えている時点で、この本は成功と言えるかもしれません。

当たり前のことですが、人生の重心というのは時代や社会背景によって移ろうののではないかと考えます。例えば、ウェーバーが書いた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかでは、プロテスタントたちの生きる価値観がありありと書かれています。

ざっくりと要約すれば、一生懸命に信仰と労働を行うものは、死後の世界の「最後の審判」で救済され、そうでないものは永遠の地獄に落ちる、とプロテスタントたちは信じていたそうです。(まあ結果的に資本主義社会に移行することで、禁欲は難しくなっていくのですが...)

プロテスタントたちの人生の重点は、死後の世界であり、死後の世界で救済を受けるために、いまを一生懸命に努める人生を送っていました。

ある種のスピリチュアルの世界ではありつつも、死後の世界のことは誰にもわかりませんから、このような生き方もひとつのフルライフと考えることができます。

話は脱線しましたが、自分自身に置き換えて考えてみると、自分は静岡に住んでいることもあって、子どもの頃から「東海地震がくる」「津波がくる」と言われて歳を重ねてきました。もちろん自分の老後や今後のビジョンについて考えてみることはありますが、この本を読んで自分を人生の重点は50歳だとは、どうも考えられなかったのです。

しかし、「人生の重心はどこにあるのか?」は、とても良い問いだなと感じています。その問いに感化されて、この記事も書いているわけですから。

そもそも「人生には重点がある」という前提を置いてみると、自分の人生の重点はどこだろう?と考えてみたくなります。あなたの人生の重点はどこにあるでしょうか?

今日は考えたことメモで、ちょっとまとまらない感じで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?