彩る人
埼玉県の東部に位置するさいたま市岩槻区。2005年にさいたま市に編入されるまでは、単独の市であった。都心から40km。江戸時代には日光御成街道の五つ目の宿場町として栄え、東照宮の造営などに携わった宮大工や工匠たちが、この地で人形作りを始めたと言われています。江戸木目込人形、岩槻人形は伝統的工芸品として親しまれ、“人形のまち”は、岩槻の代名詞として全国に知られています。
大宮から東武アーバンパークライン(野田線)で5つ目、岩槻駅のすぐそばに『矢作人形』(株式会社 雛の廣榮)があります。この日は会長の矢作恒良さんにお話を伺いました。
代々使うものなんだから、良いものをつくらなきゃね。
(株)雛の廣榮 矢作人形
矢作 恒良 Yasaku Tsuneyoshi
「うちは元々卸問屋なの。今は人形の製造、卸、小売までやってるけど、昔はここが工房だった。今は別のところにある。私が人形屋としては3代目で、初代は岩槻藩の侍だった。大政奉還で武士を廃業して人形屋になったの。今は息子世代が商いをやってる」。
■岩槻が“人形のまち”になった理由はなんですか?
「日光東照宮の造営に関わった職人なんかが岩槻に住み着いて、人形づくりを始めたと言われてるね。隣街の春日部で桐箪笥を作るでしょ。人形の頭を作るのに欠かせなかった桐粉(桐のおが屑)が手に入りやすかった。それを糊と混ぜて粘土状に練って、型抜きして練頭を作るの。それからもうひとつ、人形づくりで使う水、地下水が豊富で枯渇しなかったから。水がきれいだから人形頭の塗装に使う胡粉の発色も良いからね。水が良いからあちこちに酒蔵もあるよ」。
■この雛段飾りすごく気になります。矢作人形のフラッグシップモデルですか?
「そうだね、これがうちの自信作。でもこの形になるまでにたくさんの職人さんの手が掛けられている。みんな分業だから。頭師、人形師(着付師)、金襴(布地)問屋、小道具屋。それぞれが独立した生業として成り立ってきた歴史がある。うちの隣にはスガ屋(髪の毛に使う絹糸屋)があったよ。私が人形屋を継いだ頃は岩槻だけで5,000軒くらいの人形関連の店、人がいた。今でも300軒はあるかな。うちの並びにも10軒くらい。自動車メーカーと一緒で、問屋が最終的な人形の組み立てをして商品に仕上げるけど、作るのはチーム。それは今も変わらない」。
■すごくきれいなお顔ですね。着物も本物みたい。
「着物は、汕頭(スワトウ)刺繍の帯地を使ってある。スワトウってハンカチが有名だよね。刺繍だからすごく手間暇かかってる。弓矢の羽も本物だし、着物には手描き加賀友禅裂地とかも使う。うちは本物志向だから。せっかくつくるんだから、良いものつくんなきゃ意味ないでしょう。2階の展示場もぜひ見て行って」。
■広いですね。しかもたくさん!1階の雛段見た後だと現実的なサイズに見えますね。
「ここには色んなサイズを揃えてある。今は雛人形だけど、シーズンで入れ替えてね。ほら、これが手描き加賀友禅の雛人形」。
■あれ?首がありませんね。
「着物の色と柄を選んでもらってから組み付けるからね。なんて言うの?(セミオーダー)そう、そんな感じ。小さな人形飾りもたくさん揃えてる。でもどれも職人の手でしっかりと作られている」。
■これだけしっかり作られているなら、子や孫の代まで残せますね。
「そう、代々引き継いでもらいたいね。家族の歴史と一緒に。そうだ、岩槻人形博物館見学していくかい?2020年の2月に開館したんだけど、私ら人形屋たちの念願だった。40年かかったよ(笑)。はい、これチケット」。
会長さんにはこの他にも、岩槻の歴史や地理のお話もたくさん聞かせていただきました。なんでも千葉の南房総市の一部が、かつて岩槻藩領(飛び地)だった歴史(あまり知られていない)もあり、そのおかげで岩槻の人は岩槻街道を運ばれてくる魚介類を良く食していたこと(そういえば駅周辺に海鮮居酒屋が多かった)。戦国末期より岩槻城下町の周囲を土塁と堀が取り囲んでいたが、戦後新制中学校建設にあたり、堀を埋め戻して分譲し、学校の建設費などに充てた、などの興味深いお話でした。区役所の職員さんも知らないほどの豊富な知識は、明治生まれの祖父に教えてもらったそうです。筆者は初めて岩槻を訪れましたが、歴史探訪したくなりました。
とにかく矢作会長、お話がお上手でどんどん引き込まれてしまいました。
ありがとうございました。
さいたま市岩槻人形博物館
そんな訳で行かせていただきました、さいたま市岩槻人形博物館。矢作人形から自転車で5分ほど。歩いても10分程度。
大きい!広い!それもそのはず、かつて岩槻区役所があった場所だそうです。ちなみに区役所は現在岩槻駅前ビルにあります。
日本初の公立人形博物館だそうです。約5,000点の収蔵品を持ち、常設展・企画展で人形の美しさと魅力を伝える岩槻人形博物館。コレクションの柱は、日本画家で人形玩具研究家の西澤笛畝(1889〜1965)が収集した日本と世界の人形・玩具。この日は特別展『西澤笛畝(てきほ)〜人形をひのき舞台へ〜』を見学。
西澤笛畝は日本画家として活躍しながら、おびただしい数の人形や玩具を蒐集(しゅうしゅう)し、人形の文化芸術振興に生涯を捧げた、人形界を盛り上げたアンバサダーだったそうです。“おびただしい”と解説に書かれるほどなので、本当に凄そう。
駐車場も広くて、同じ敷地に『にぎわい交流館いわつき』もあり、交流スペースやクラフトルーム、カフェもあります。
お近くにお越しの際に、ぜひ立ち寄ってみては如何でしょう。
矢作人形(株式会社 雛の廣榮)
※11月から4月までは小売店です
埼玉県さいたま市岩槻区本町3-1-18
tel.048-758-0017(代表)
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さいたま市岩槻人形博物館
埼玉県さいたま市岩槻区本町6丁目1-1
tel.048-749-0222
https://ningyo-muse.jp/
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