言い訳

ある日、友人らと夜景を見に行くことになった。
かなりの山道をやっとの思いで登り切り(と言っても車だし友人の運転だし)、山頂に着いた。しかしすごい霧。深すぎて何も見えない。もはや雲海だった。それはそれで貴重だし綺麗だったが、「夜景を見るモード」の僕らは、他の夜景スポットに向かった。こちらでははっきりと夜景が広がっている様子が見れた。ぼんやりと眺めることができた。

夜景は綺麗だった。本当だ。しかしそもそも何かをぼんやり眺めることが好きな僕は、「夜景が好きで眺められているのか」「ぼんやりできるから眺められているのか」わからなかった。そんなこと考える自分に気付いてからは、景色よりも考えの方に集中してしまっていた。

確かに何かをぼんやり眺めることは多いし、好きなことでもある。
だが、そのせいで幼い頃から「ボーッとした子」だと言われてきた。しかし何も考えないから「ボーッとしている」のではない。頭で何かを考え続けているから「ボーッとして見える」のだ。

言い訳じみた自己正当。かもしれないけど。
綺麗な夜景を見ながらこんなことを考えていた。

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