子供のころ将来の夢を聞かれることがあった。

中学生まで決まって「教師になりたい」と答えていた。理由は単純だ。親が教師だからだ。

微塵にも思っていなかったしなるつもりもなかった。だが、「親の背中を見ている」と褒められるし、勝手に納得されて細かく説明しなくていいし、楽だった。


もう一つ理由がある。頭の中を覗かれるのが嫌いだからだ。これは今でも変わらない。

就活をしていると、いろんな所で自分の考えを聞かれる。

「何をしたいの?」「何でそうしたいの?」「何かきっかけがあったの?」

なぜ今日知り合ったばかりのお前に僕の頭を覗かれなくてはいけないのか。

この嫌悪感が慣れるまで(もしくはそんなふりができるまで)、だいぶ時間がかかった。


その反動からか、気の置けない友人の前では自分の考えをつらつらと話してしまう癖がある。話が長いと言われるし、一度で説明しきれない故に何度も同じ話をすると言われてしまう。


どうして普通の人は大丈夫なのだろうか。どうして僕は気になってしまうのだろうか。恐らく僕が田舎で育ったためだろう。田舎は狭い世界だ。子供の頃は特に。

義務教育9年間は2クラスの小さな学校だった。15歳まで60人程度の小さい世界だった。1つのミスが命取り。多数派は圧倒的に正義で、少数派はまさしく悪。そんな状況だった。

日本の若者は同調圧力が強いとも言われるが、田舎の狭い世界は差し詰め高い壁に囲まれた進撃の巨人の世界だ。今を生きる渋谷のJKなどとは比べ物にならない。

恐らくそんな世界で生き延びるための、僕なりの処世術だったのだろう。


そんなものが身に染みた僕は頭を覗かれるのが未だに苦手だし、こんな言い訳をしてしまう自分が嫌いだ。

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