ノイジ―

「一億総ツッコミ社会」

現代はしばしばこう呼ばれる。槙田雄司著の同名の新書が由来だ。聞き馴染みのない方もいるかもしれないが、マキタスポーツという芸名で芸人をやられている。

ネットで一般人も自由に発言できる環境が整っているため、万人が物事にツッコミできている、もっと言うと揚げ足を取りがちになっている。そんな話だ。

なるほど。自分の中の一つのもやもやが晴れた気がした。


SNS等の発達で一人ひとりが大きな声を上げやすくなった現代は、しばしば「生きづらい」と言われる。「インフルエンサー」や「YuTuber」という人種が生まれたことはヒトには元来承認欲求が備わっており、それがいかに刺激されやすく、顕現しやすいかを示していると僕は考える。

例えば、テレビで放送された内容の間違いをSNSで呟く。瞬く間にそれが拡散され、テレビ局やタレント、スタッフには謝罪を求める声が集まる。実際に謝罪すると、発信した者は英雄扱いだ。

2016年のヒット曲「サイレントマジョリティー」というものがある。和訳すると「物言わぬ多数派」。「そんな者にはならず、声をあげよう」そんな曲だ。現代では「ノイジーマイノリティー」なる者が存在する。なぜか。理由は簡単だ。目立てるからだ。間違うと総叩きに合う世の中では、誰もが世間の基準からそれないように慎重になる。その中で声を上げた者は必ずと言っても良い程注目を浴びる。

別にこれが悪いことだと言いたいわけではない。一人の知識をみんなで共有できることもあるだろう。

ただがんじがらめになってしまってる現状も無視できないということだ。

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