希望なき社会のゲリラ戦士、その名は鈴愛

『当時のインドに経済力があったら、ガンジーも非暴力主義は唱えなかったと思うんだよなあ』

 高校時代の部活顧問の言葉である。
『半分、青い』ドラマの序盤、ヒロイン鈴愛の師匠である秋風羽織が、自分の思い違いで不当解雇したことを詫びに彼女の実家を訪れた時、なぜか何十年も前に聞いたこの言葉がよみがえった。
 申し訳なかったと頭を下げる秋風に対し、鈴愛はカメラ付きフィルムにその姿を納めるという所業におよぶ。このシーンはネット上で喧々囂々の議論を巻き起こした…と言うか、かなり感情的な批判を浴びた。
 ちなみにこの騒動の前、ヒロイン鈴愛は『漫画家アシスタント』として秋風羽織の運営するオフィスティンカーベルに雇われたはずが、事実上その役割はメシアシ(食事の用意など雑用を引き受け、漫画製作には関わらないアシスタント)だと告げられ、『炭水化物要員』『岐阜の山猿』とののしられて、秋風羽織の完成原稿を人質に、『自分を正規アシスタントとして雇わなければこの原稿を窓からばらまく!』という堂々たる脅迫行為を行っている。
 その時は彼女の行動を眉をひそめながら見ていた私だったが、彼女が師匠の土下座を写真にとって保険にするという実にヒロインらしからぬ行動をとるに至ってようやくその意味に気がついた。
 
『これは、朝ドラヒロインによるゲリラ戦だ』

 話を冒頭に戻そう。
 部活顧問の『インドに金があればガンジーも非暴力主義をとらなかった』発言を、かいつまんで説明する。当時のインドは世界の最貧国の一つで、膨大な人口はあっても国を支える産業はなく、他国から搾取される一方だった。イギリスによる支配から脱することを望んでも、相手は欧米列強でも指折りの強国。まともに太刀打ちできる相手ではない。それでもどうにか独立を果たしたいと望んだガンジーが生み出したいわば『裏技』が非暴力主義だったというのが顧問の主張だった。
『非暴力・非協力・不服従』を合言葉に、ガンジーはインド各地で反乱を起こす。反乱と言っても武力衝突ではない。そんなもの最新鋭の武器を備えたイギリス軍にあっという間に鎮圧されて終わりである。『民衆が暴力で訴えてきたから力で鎮圧するしかなかった』という口実をイギリス側に与えることにもなる。
 そこでガンジーが編み出したのは、整然と並ぶ群衆が軍の前に立ちはだかるという抗議スタイルである。群衆は非武装。何も持たず、一列に並んで軍の前に立つ。軍側が鎮圧のために警棒で最前列のものを打ち据えると、脇に控えていた女たちが負傷者を運びだして手当をする。代わりに次列に控えていた男たちが一歩進みでる。軍が再びその男たちに警棒を振り下ろし彼らが地に倒れると、女たちはまた負傷者を運びだし、そして後ろに控えていた男たちが負傷者の代わりに一歩進み出る。
 この、気の遠くなるような、圧倒的な人口差があったからこそとれた『非暴力』活動については、アッテンボロー監督による映画『ガンジー』に詳しく描かれている。(というか、冒頭の言葉も、この映画『ガンジー』の感想から出てきたものである)
 最終的に顧問は『結局人間は、戦おうと思ったら自分の持つものを最大限に活かすしかないんだ。『もっと力をつけてから』と言い訳したところで、当時のインドとイギリスのような構造的な格差がある状況でそんなことを考えても結局その『いつか』は訪れずに終わる。『今』自分が持つ能力を最大限に、時には既存のルールの裏をかいて活かしていくことが必要なんだ』のように話を締めくくったように記憶している。生意気盛りの高校生に、よくもまあこんな過激な講釈をしたものだと思うが、社会人になってから、私はこの言葉にずいぶんと助けられた。その顧問には今も感謝している。
 
 閑話休題。
『半分、青い』のヒロイン楡野鈴愛は、正規アシスタントとしてオフィスティンカーベルに雇用された(これに関してはオフィスを実質的に切り盛りしている菱本が自ら鈴愛の実家に赴き、アシスタント業務に加えて秋風による漫画家指導を行い、将来的にはプロとしてデビューできるよう育成していくつもりだと鈴愛の両親に明言している)はずが、実際の仕事は雑用係、挙句は秋風に『岐阜の山猿』とののしられている。何という理不尽。なんという不当雇用。
 片や少女漫画の大御所。片や岐阜から上京したばかりの十代そこそこの小娘。早熟な漫画家志望者ならばそのころには既にいくつもの作品を応募するなどして出版社にもある程度認識されていてそこからデビューの道を探る道もあるが、少女漫画との出会いそのものが遅かった鈴愛はそんなツテもない。漫画家になりたければ、このオフィスティンカーベルにしがみつくより他はない。あまりにも圧倒的な力の差。普通の人間ならばたてつくこと自体が自殺行為、と泣き寝入りをするところだ。
 そして、これまでの『NHK朝の連続テレビ小説』の作品群は、こんな身も蓋もない状況を、『ヒロインはそんな境遇にも耐え忍んで陰ひなたなく働き、先輩方の技術を必死に吸収してその努力と才能をみとめられ、めでたく漫画家デビュー…』のように美談めかして提供してくることが多かった。
 だが、鈴愛は違った。自分への扱いは不当であると正面から抗議し、相手が聞き入れないとなると断固たる実力行使にでた。
『漫画家(とアシスタントたち)が心血注いで完成させた原稿を人質に自らの労働条件の改善を要求する』
 どこからどう見てもヒールの所業である。
 だが思い出してほしい。圧倒的な力の差を背景に最初に理不尽な要求を突き付けてきたのは秋風羽織であり、鈴愛はそれに理不尽で返しただけだ。
 自分の勘違いから不当解雇をしたことを謝罪してきた相手の土下座姿を写真に収めるのは下品極まるという意見も多かったが、そもそも理不尽を通せるほどの力の差があったからこそ生じた不当解雇なわけで、相手が二度と同じことをしてこないよう保険をかける鈴愛の姿勢は戦略として正しい。
 力のないものが、力のある者と対峙しようとするとき、相手の土俵に立ってしまってはなすすべもなく踏みつぶされるだけである。厳密なルールの定められた競技内での正々堂々の勝負ならともかく、力のある相手が理不尽で殴りかかってきた時、お行儀よくルールに従ってなすすべもなく苦渋をなめるのは果たして『正しい』ことなのか。
 このドラマは健気なヒロインを通して『ただしい生き方』『人としてあるべき姿』を描くものでなく、漫画家を目指し高卒で上京した少女が、学歴や才能といったわかりやすい武器を持たないまま人生という戦いに挑む物語、いわば、ヒロインによるゲリラ戦のお話なのだと私はその時理解した。
 
 日本以外の国の事情を詳しく語れるような経験は持たないが、私の感じる限り、日本というのは『戦い』というものに対して非常に厳しく、頑なな考えを持つ社会である。
 戦うためにはそのための技術(知性や教養)を身につけねばならないし、戦い方が作法にのっとっていなければ卑劣だと責められる。そして一番大切なのは、その戦いに『大義』があることだ。
 自由のため、平和のため、あるいは女性の自立のため。個人が戦う時は、必ずそうした大きな目的、錦の御旗を掲げねばならない。さもなければそれは利己的な戦い、単なるわがままだと非難されることになる。
 鈴愛の人生は苦闘の連続だったが、それは常に『自分自身の納得のため』の戦いだった。納得がいかないと思えば、彼女はどこまでも食い下がった。その姿を『わがまま』『傍若無人』と責める声は(数の多少はさておき)非常に大きかった。

 だが、考えて欲しい。
 人が『自分のため』に戦うのはそんなに悪いことなのか?
 知性・教養・地位など、戦うための技術や手段を持たないものはそもそも戦う資格を持たず、それはそのような境遇を招いた『自己責任』だとでも言うのか?
 そしてそもそも、自分自身以外の誰が『自分のため』に戦ってくれるというのか?

 製作陣が鈴愛に『不遇のロスジェネ世代』あるいは『現代も続く女性に対する抑圧への抵抗者』のような看板を背負わせていれば、あるいは彼女への風当たりは多少は弱まったかもしれない。そうすれば少なくとも彼女は『戦うための理由=錦の御旗』を手に入れたことになるからだ。
 だが、そうはしなかった。鈴愛は徹頭徹尾『自分のため』に戦い続けるヒロインだった。『半分、青い』は『ロスジェネのための物語』でもなければ『すべての女性のための物語』でもなく、あくまで『楡野鈴愛の物語』だった。
 
 このドラマが特に若い世代に支持された理由はそこにあったと私は思う。
『女性』『ロスジェネ』『地方出身者』…そうした『看板』を背負ったものの言葉は、目指すべき理想を含みがちである。
『正しくあるべき』『賢くあるべき』『誰からも愛されるようになるべき』
 これらの美しい理想は、人生の道しるべとなる一方で、挫折を経験したもの、今現在苦悩を抱えている者にとっては大いなる呪いともなりうる。
『正しくあれない自分』『賢くあれない自分』『すべての人からは愛されていない自分』は、そのまま『価値のない自分』へと容易に反転する。そうした人々への心ない、いささか度の過ぎた非難の声も、この社会には満ち満ちている。
 そんななかで鈴愛が『私の人生は私のものだ!』と絶叫し、徒手空拳でも、多少卑怯な手を使っても、とにかく自分のために戦い続ける姿は、生きることそのものへの力強いエンパワーメントだ。勝てば官軍と言うけれど、官軍側にいなければ戦う大義はないなんてことはない。正しくなくても、賢くなくても、すべての人に気に入られなくても、自分の人生は自分のものだし、自分は自分のために戦っていい。
 そんな当たり前のことを改めて教えてくれるのが、楡野鈴愛という、『半分、青い』の主人公だ。

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