自己決定、自己責任、そしてちむどんどん
朝ドラ『ちむどんどん』が終了した。
反省会タグがメディアで取り上げられるなど、本編の内容以外の部分で話題となることが多い作品だったが、私はこの作品が好きだった。
画面に描かれる沖縄の自然の美しさ、脚本に命を吹き込む俳優陣の熱のこもった演技。それぞれの魅力を一つずつあげていけばキリがない。そして時間は有限だ。なので私はここで、この物語の構造について語ろうと思う。
この作品『ちむどんどん』は、明確な意図のもとに組まれた骨格をもち、それにそって肉付けをほどこされた作品だった。どんな『批評』を読もうと、私のこの感想は変わらない。
1.物語における『自己決定』と『自己責任』の関係
この物語でもっとも重要な主張は、物語の最序盤に示される。
幼い頃の主人公暢子が、調査のために山原を訪れてきた民族学者青柳とその息子和彦のために沖縄そばを作るシーンだ。
暢子は、かつて料理人だった父に教えられて麺をうち、スープをつくる。それまで丁寧に手順を教え、一緒に作業していた父賢三は、最後暢子にこう伝えて味付けを任せる。
「ここから先は暢子が考えて、本当においしいと思ったものをだしなさい」
どんな物事にも効率のよい手順や方法があり、大人はこどもにそのやり方を教えることはできる。だが、『これさえ守っていれば絶対に大丈夫』という、万能で便利なやり方、絶対的な正解などというものは存在しない。人はそれぞれが悩み、考え、自分が美味しい(正しい)と思うものを追及していくしかない。
考え抜いたうえで、自分がよいと思ったものを選んでいく。すなわち、自分自身の『ちむどんどん』を尊重することの大切さが、幼い主人公に対して説かれるのだ。
この『己のちむどんどんに従え』は、主人公暢子だけでなく、今後登場する人物全員に繰り返しつきつけられる命題である。
『己のちむどんどんに従う』とはつまり、自分自身の気持ちのたかまりを正直にみつめ、それにそった人生の選択をしていくということだ。ひらたく言うと『自分のことは自分できめる』である。自己決定の重要性が、この作品を貫く背骨となる。
さて、皆さんは、自己決定、という言葉を聞いて何を連想するだろうか?
マインドセット? 自己啓発?
それらももちろんあるだろう。だが現代では、それらの言葉以上に、この『自己決定』の裏側にべったりと貼りついてしまった概念がある。『自己責任』だ。
誰かがとある決断を下す。その結果起こった出来事についての責任は、その決断を下した本人にある。
『自己責任』についての、世間的なイメージはこんなものではないだろうか。
一見すると、とくに問題のない、まっとうな主張に見える。ただし、その決定が、本当にその人物の自由意志によってなされたのであるならば、という条件がつくが。
ドラマ序盤、暢子の父である比嘉賢三が病のために亡くなる。
家や畑を手に入れるためにした借金はまだまだまだ残っており、4人もいる比嘉家のこどもたちは一番うえの長男賢秀でさえ中学3年生。母優子の稼ぎだけでやっていくのはあまりにも心もとない。そんな中、久しく音信のなかった東京にいる比嘉家の親戚が手紙をよこす。『こどもをひとり引き取っても良い』と。
兄弟のうち、誰が東京に行くべきか。
病弱ですぐ熱を出す末っ子歌子だけは別として、上の3人は誰が行くことになろうと大きな問題はない。そこで本人たちは口々に『自分が行けない(行ってはいけない)』理由にもならない理由を述べ立てる。
そして、弁の立つ姉と、口は回らないがとにかく圧と勢いはある兄とが争う姿をみた主人公暢子は健気にもこう言う。
「私が東京にいく。東京にいって、いろんなおいしいものをいっぱい食べてみたい』と。
ここで問題である。この暢子の『(故郷やんばるでは食べることのできない)いろいろなものを食べてみたいから東京に行きたい』という発言は、はたして彼女の『自己決定』と呼んでいいのだろうか?
多くの場合この問題は『イエス』と処理されるだろう。誰が強制したわけでもなく、幼い暢子自身が『こうするのが一番よい』と、懸命に考えて出した結論なのだから。そして、これまでの多くの創作作品は、この暢子が下したような『自己決定』をよしとすることが多かった。
『本当は家族と離れたくはない』が『けれどもそうするのが家族のために一番よい』と判断し、『自分の意志で』東京行きを決断した主人公は、(適度な)波乱にもまれながら、故郷に残り続けていては不可能だったであろう大きな幸せを手に入れる。
このような『誰かのために自分を犠牲にして尽くした者には、その引き換えに大きな幸せが与えられる』という筋書きは王道の物語だ。いにしえの昔から、多くの人はこの物語の流れによって勇気や慰めを得てきた。もちろん、視聴者の多くもその流れを予想(期待)していた。
だがしかし、このドラマはその流れをひっくり返す。
東京に旅立つ日、青柳親子とともにバスに乗った暢子は、自分を見送る兄、姉、そして妹が、たまらずにバスを追いかけて走る姿をみてこう叫ぶのだ。
『(バスを)とめてください!』と。
このシーンは多くの批判を呼んだ。いわく
「自分で決めておいて『やっぱやめた』とは何事だ」
「準備を進めていただろう東京の親戚が気の毒だ」
家族のために『我慢』することを決意した10歳の少女が『本当は自分はそうしたくない』という本心を表明したことに対し、多くの大人が『無責任』という言葉を容赦なく浴びせかけた。
これは「一度自分が下した決断には何があろうと最後まで責任をもつべき(当然文句も言ってはならない)」という『自己責任』の思想が『自己決定』の概念と分かちがたく結びついてしまっている証左と言えるだろう。
さて、ここでもう一度『物語における自己決定』の話に戻ろう。
多くの人によって愛されてきた『誰かのために自分を犠牲にして尽くした者には、その引き換えに大きな幸せが与えられる』という物語のテンプレは、こう読みとることもできるのだ。
『物語における『自己決定』は『自己犠牲』としばしばセット販売されてきた』と。
自己犠牲をいとわなかったからこそ手に入れられた幸福という『ご褒美』で目くらましされてはいるものの、その流れが語るのは、『自己犠牲を伴わない自己決定などわがままでしかない』という、自己犠牲を飲み込んでもらいたい側の本音だ。
このドラマは、そんな暗黙の了解に強烈な問いを投げかける。
「個人が、誰かのために我慢し、何かを諦め、人生を犠牲にする行為を、本当に『自己決定』と呼べるのか?」と。
暢子の母優子の言葉はそれを補強する。
「やりたいことをやって失敗したらそれは自分の財産になる。けれど、やらされて失敗したら、それで誰かを恨むことになるかもしれない」
人は生き抜くために共同体を形成して生きてきたが、同時に、他ならぬその共同体を維持するため、特定の個人に損な役回りを押し付けるという行為をしばしば行ってきた。その、損な役回りを飲み込む/飲み込ませるために便利に用いられてきたのが『こうすればみんなうまくいく』という魔法の言葉だった。そして多くの物語では、そうやって苦いものを飲み下した人間には、他の者たちには与えられなかった特別な『ご褒美』が与えられる。いわば飲み込む側にもメリットがあるという『お約束』が成立する。
しかし、このドラマは我々にこう訴えるのだ。
「とことん考えぬいたうえでの『決断者本人の納得に基づいた決断』と、「これが伝統だから」「家族や世間がそう求めるから」という『他者の納得のために下した決断』を一緒にしてはいけない。後者は『自己決定』と呼べるものではない」と。
2.その自己決定は『ちむどんどん』するか否か?
『ちむどんどん』における自己決定において、もう一つ大きな要素がある。それは、自分自身の人生について決断する側にも、己の『ちむどんどん』に従っているか否かを厳しく問うてくるということだ。
努力の甲斐あって念願の教職についた暢子の姉良子は、教員として働くなか、製糖会社の御曹司金吾にプロポーズされる。
金吾は言う「僕と結婚してくれるなら、実家の借金については心配しなくていい」
さらに金吾は畳みかける。「料理が苦手? お手伝いさんに任せればいい。仕事を続けたい? どうぞどうぞ君が望むならばいくらでも」
金吾のこのプロポーズを、多くの視聴者は『理想的』と受け止めたようだ。
けれども良子には学生時代からの想い人博夫がおり、また、『君の好きなようにするといい』と一見良子の選択を重んじるようなことを言いながら、顔を合わせると自分の考えだけを立て板に水と話すだけで『会話』の成立しない金吾にある種の不信感を抱いているようでもあった。
良子が最終的に博夫との結婚を選んだ時は、それが比嘉家と喜納家の顔合わせのタイミングだったせいで(また、比嘉家のトラブルメーカーである長男賢秀が色々関わっていたこともあり)良子へのバッシングともいえる批判を巻き起こした。
優柔不断に見える博夫の態度から『結婚後絶対苦労する(金吾を選べばよかったのに)』という感想も多かった。
だが、この時『世間的にみて理想の結婚相手金吾』ではなく、『己のちむ(こころ)がどんどんする(ときめく)相手博夫』とともに生きることを選んだ良子の決断は、物語中これ以上ない大正解となっていく。
ここが大きなポイントなのだが『(結果的に)大正解だった(時がたつにつれそう判明した)』のではない。視聴者から「だから金吾にしておけばよかったのに」という声が上がるほどの紆余曲折、夫婦の危機を経ながらも、良子と博夫は対話を重ね、信頼を重ね、大正解と『なっていった』のだ。
自分は共に生きたいと願う相手を選び、そして相手からも伴侶として選ばれた。その心からの納得が、二人の強い絆の根底にあったが故の『大正解』としての結末である。
『己のちむどんどんに忠実たれ』
制作陣のエールがわかりやすく伝わるのがこの二人の例だ。
結婚にまつわる女性の決断については作中他にも例があって、こちらはいささかの苦さを伴う。
それは『幼い頃からの夢だった仕事』と『結婚して家庭に入る一般的な幸せ』の選択を迫られる大野愛の物語だ。
愛は、暢子の幼馴染である青柳和彦の恋人であり、彼の勤める東洋新聞の同僚記者でもある。
当時は1970年代、ホワイトカラーとして働く女性はちらほら現れはしたものの、その多くは『結婚までの腰掛け』として『職場の花』であることを主に求められていた時代である。そんななか愛は、和彦の上司でもある田良島も期待する有望な若手記者であると明示されており、本人も『将来はパリ支局で働きたい』という夢を持っている。和彦もまた、自立した女性である愛を好もしく思い、尊重し、その夢を応援している。
誰もがうらやむ境遇にいるかに見える愛だが『結婚して家庭に入ることが女性の幸せ』という時代の常識が、彼女を徐々においつめていく。
新聞記者として堅実に仕事をこなしながらも(おそらくは女性ということもあり)『大野でなければできない仕事』をするチャンスには恵まれず、具体的な将来のビジョンとしてもっていたはずの『パリ支局勤務』はいつのまにか『叶わないと知りながら諦めきれぬ夢』のような雰囲気を帯びてきている。彼女の仕事への情熱を理解し応援してくれていたはずの両親も、和彦との結婚をせっつくようになる。
両親と愛、和彦との4人が和やかに会食するシーンがある。両親は二人の結婚を打診する。普段は場の空気を優先して尖った自己主張はしない愛が珍しく「私たち結婚はまだ…」と口を挟もうとする。彼女の母はそれを否定するでなく、ただ鷹揚に「あらあらうふふ」というようにいなしてしまう。彼女はそれ以上言葉を続けることなく、『良い娘』として席について会食は進む。
またある時は父親が彼女の職場に電話をかけてくる。それは親類に頼んで結婚式場を押さえてもらったという決定事項の『報告』だった。抗議をしようとする愛に、ダメ押しのように父親は告げる。
「いずれ家庭に入るという条件で、進学も就職も許してやっただろう」
『女はクリスマスケーキと同じ(25を過ぎると一日ごとに値が落ちる)』という揶揄が、何はばかることなく口にされていた時代である。愛の両親が、結婚し家庭に入るという『ふつうの幸せ』を娘に求めたとしても、理解のない親として一方的に責めることはできないだろう。
登場時以来、愛は聡明で周囲への気遣いが自然にできる女性であり、両親の関係も良好であると作中で描かれてきた。だがその聡明さ、両親から受けてきた愛、そのことに対し彼女が両親に抱く感謝が、今度は彼女を追い詰めるのだ。
ここで一旦『ちむどんどん』というドラマから離れ、再び『物語における自己決定』について触れたいと思う。
先ほどの項で『物語における自己決定はしばしば自己犠牲とセットで描かれ、その底には自己犠牲を伴わない自己決定などわがままでしかないという共同体的本音があった』と書いたが、社会の成熟に伴い、個を共同体の犠牲とすることを良しとしない思想が徐々に広まっていった。また、女性の社会進出が進むにつれて、女性の自己決定を好意的に描く物語も増えた。
だが、そうした物語のなかでは、女性が自分の生き方を選択することで周囲と決定的に対立する展開を描くことは、おそらくは意図的に避けられてきた。
ヒロインの決定は時に物議をかもし周囲に波風をたてもするが、それは同時に新しい風を吹き入れる『必要な』ものでもあると描かれることが多かった。
だがこのドラマは、ここでその『周囲のみなを幸せにする自己決定』という甘い物語に水を注す。
『自分のやりたいこと(ちむどんどん)が周囲の幸せにつながったら、たしかにそれは最高。けれど、それが周囲の期待や思惑と対立したら? 家族がもつ『娘が適齢期に結婚し、おそらくは出産もし、自分たちは可愛い孫を抱くことができるだろう』という、ふんわりとした夢と真っ向から対立することになったら? そんな時あなたは、どう決断する?』と。
そして愛が最終的にどのような決断を下したか、ドラマをご覧の方はよくご存じのはずだ。
さて、『自己決定とちむどんどん』について書いてきたこの項目で出した二つの例には実は共通点がある。それはどちらも『家父長制の否定』だ。
金吾は『自分と結婚すれば実家の借金を心配する必要はなくなる』と良子に告げた。
二人には経済格差という決定的な勾配があり、仮に喜納家が比嘉家の借金を肩代わりしていたら、良子は金吾と喜納家と対等な関係ではいられなくなる。
また、愛は大学進学と新聞社への就職という、同時代の女性たちは手に入れることが難しかった『自由』をもつ女性のように見えた。だが、それは『理解のある父親』によって許可された結婚までの猶予期間でしかなかった。
それがどれほどソフトであったとしても、相手を思うが故の行動であったとしても、最終決定権が一方にあり他方はそれに従うことしかできない関係は、このドラマでは『ナシ』に分類されるのだ。
3.自己決定、その厳しき道のり
さて、一貫して『家父長制的人間関係の否定』が繰り返し描かれてきた今作のなかでも、とりわけ徹底したエピソードがある。
それは、暢子の兄賢秀が勤める猪野養豚場の娘、清恵の物語だ。
登場以来、清恵は勝気でしっかりものの女性として描かれてきた。視聴者のなかにはそんな彼女が賢秀を『更生』させてくれるのではという期待もあった。だが、物語が進むにつれ、彼女の過去が明らかになる。
清恵はかつて都会で女工として働くうちに悪い男にひっかかり、その男と結婚したうえ水商売に身を落としていた。そんな娘を心配した寛大が彼女を連れ戻し、男と離婚もさせていたが、彼女のなかには常に父への負い目があった。
有名ホテルとの大口契約が決まりそうになった時、彼女のかつての夫が養豚場に現れ、契約は白紙になってしまう。責任を感じた彼女は養豚場を去る。
彼女が養豚場を去るに至った理由は複数のきっかけによる複合的なものだが、その一つに、契約にきたホテルの仕入れ担当が口にした何気ない言葉がある。彼は、契約の場に居合わせた賢秀を見てこう言うのだ。『こんな立派な息子さんがいれば将来は安泰ですね』
さらに、あわてた寛大が清恵をさして「実はこれが私の娘で…」と言うのにかぶせるようにこの言葉が続く「いやいや、息子さんではなくお婿さんでしたか」
一次産業は、今でも男手がものをいう仕事である。ましてや、今ほど機械化の進んでいない70年代ならばなおさらだ。清恵自身、賢秀が養豚場をあけた時にこうこぼしてもいる。
『まったく、こんな男手の必要な時に』
清恵にしてみれば、トラブルメイカーの自分が去り、立派な跡取りたる賢秀を養豚場に残すのがせめてもの『親孝行』なのだ。
その後上京した賢秀が水商売についていた清恵を探し出し『俺の胸に飛び込んでこい!』と両腕を広げる。素直に抱き着いてこない彼女に焦れ、賢秀はこう叫んでしまう。
『今一緒に帰らないなら、二度と養豚場の敷居はまたぐな!』
清恵はその場を動かず、賢秀は一人養豚場に帰る。
だが、賢秀が寛大に事情を説明している最中、『二度と敷居をまたぐな』と言われた清恵が戻ってくる。「ママに事情を話して、仕事をやめてきた」と言って。
言葉を失う賢秀と寛大に、彼女は自ら言う。
「ただいま」
そして、『二度と敷居をまたぐな』と大口をたたいた賢秀は、ホッとした表情で答える。
「おかえり」
昭和のドラマであれば、寛大が都会から連れ戻した時点で清恵の物語は『ハッピーエンド』の決着がついている。
『頼りになる父』が『道を踏み外した娘』を『体を張って危険から救いだす』。
美しく、おさまりのよい物語である。
だが、このドラマはそれで終わらせてはくれない。どれほどその選択が正しかろうと、それは寛大の選択であり、決断であり、清恵のものではないからだ。
同じように、賢秀が『迎えに』きてくれても清恵の物語は決着しない。
清恵は過去に下した自分自身の決断の後始末を、自分自身でせねばならないからだ。
だから彼女は賢秀の申し出を退け、事情を話して店をやめ、一人で養豚場に戻らねばならなかった。
自分から「ただいま」の言葉を口にして『自分はここに帰りたいのだ』と意思表示をせねばならなかった。
清恵の物語はいわば『「おかえり」と言ってくれたから「ただいま」が言えた』ではなく『「ただいま」が言えたから「おかえり」と迎えてもらえた』物語なのだ。
『ちむどんどん』
このドラマを『行き当たりばったりの御都合主義』と批判する感想は随分ある。だが、私は決してそうはおもわない。なぜならこの物語は、一本の太い背骨をもつ物語だからだ。
それは現代を生きる我々へのエールだ。
「己のちむどんどんに忠実たれ。ちむどんどんを追い求めることを決してあきらめるな。成功するにしても失敗するにしても、それは、それによって得られる『納得』は、あなたが幸せを得るために、絶対に必要なものなのだから」
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