2023/10/7
去年の今頃までは、まだお腹の中にいたんだよ。
ここのところ、同じことばかり息子に語り掛けている。
怠惰を愛するあまり、そんなにマジメに育児をしていないと思うけど、毎日どこかしらで息子の笑顔を見れるのでよき日々を送っているんじゃないかな。
妊娠中とはまた違った不自由さがあるけど、それでも余りある幸福感を息子から貰っている。
穏やかな日常に、愛する息子。そんな環境に置かれたなら私の性格も良くなるかと思いきや、全然そんなことなかった。
親しい人へ甘えが故に、簡単に感情が昂りそれをぶつけてしまう。きっと何したって許してくれると、そう油断しきってしまっている。所詮は元々他人同士なのだから、いや他人ではなくても、人の縁は切れるときは切れる。
だから身近なひとをちゃんと大事にしなければならないのに、なんで怒鳴っちゃうのか。
怒鳴りあうのが当たり前な家庭環境で育ってきたことを、いい加減言い訳には出来ない。
子供会の遠足以外で、親と遊園地や観光地に行った思い出が殆どない。覚えているのはパチンコ屋か喫茶店か家庭裁判所。
それでも生まれ育った家がおかしいと思い始める前までは、両親のことが好きな自分もいたらしいけど、自分の記憶には残っていない。
中学校ぐらいまでは喧嘩はしてたんだからそれなりに会話はしていた筈なんだけど、果たしてどんな話をしていたのか。二十歳過ぎて両親が本格的に耄碌し始めて、マトモな会話が出来なくなってからの会話しか覚えていない。
楽しかった記憶がなくて、酷いことを言ったり言われたりした記憶しか残っていない。
いま息子と接していてつくづく思うのは、子育ては簡単ではない。それだけの時間と労力を、私の親も私に費やしてくれたはずだ。
でも今は、父親には多分二度と会えないというか生きているのかもわからないし、母親とはお互いの生活のために会わない方がいい。
私にトラウマの種を蒔いたのは両親だけど、それをより拗らせたのは私だ。
全く愛情がなかったとは思わないけど、それでも今の関係は断絶している。
大人になった息子に好かれていたい、というのはエゴが過ぎるけど、たまに一緒にお酒を飲めたらいい。
勿論、こちらが金を出さねば同席もしてくれないだろうから、連れ出せるぐらいの金を年取った時点でも持っていなければならない。高級な店は無理だけど、神田のみますやぐらいは連れてってやりてえな。滅多に飲みに行けないけど、その頃も残っていて欲しいな。
旦那は酒が飲めないので、二人で。
遠い未来の話だけど、まだまだ先だと思っていた息子の誕生日が目前と迫ってきた。
息子は10月15日が誕生日なんです。
こんなとこ殆ど誰も見てないだろうし、貼るだけ貼っておこうという訳です。
みなさまよしなに
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