2023/12/13
こないだ趣味を増やしたらと言われたが、正直これ以上増やしたくない。費やす時間も限られているし、今の手持ちで目一杯だ。
本を読むのがわりと好きだ。
初めて自分の意思で手に取った文庫は、乙一の「君にしか聞こえない」をジャケ買い。たぶん表紙の絵が可愛かったからとか、そんな理由だったかと。私にもそんな少女時代があった。
続いたり続かなかったりした趣味は色々あるけど、読書は断続的な感じ。読むときは読む、読めないときは全く読めない。
いまはこの本を読んでいる。
はじめ買うつもりはなかったのだけど、SNSで繰り返し見ていると欲しくなってきたので買った。よくやるやつ。
見開き2ページでひとつの話が終わるので、とても読みやすい。
夏葉社の冬の本にインスパイアされた本とのこと。そっちまだ読んでない。鬱の本と一緒に夏葉社の本買ったぐらいにはちょっとファンなのに。
自分は暗いのか明るいのか、よくわからなくなってから恐らく10年ぐらい経った。
明るい音楽を聴いていると腹の底から怒りが込み上がってきたり、他人から受け入れられない自分を呪ったりはしてきた。それがよくある若さからくる気鬱なのか、性格によるものなのか、病名は付けられずとも鬱から来るものなのか、わからない。
友人の悩みを聞いてみると、なんでそこまで思い詰めるほど悩むのか意味がわからなくて笑ってしまうこともある。単に共感能力が低いのか、くよくよしてる人間の前で一緒に暗くなっても仕方ないと明るく振る舞おうとしていたのかも、わからない。
暗いままでは生きづらいし、明るいままでもいられないっていうのが、今のところ出してみた答えではある。
経験が増えていくことによって視野も広がり、許せることが増えてきたように思う。
若かりし頃の己はかなり精神的な視野狭窄で、常に何かに対して怒っていた。多分怒りのパワーでなんとか自分を保っていたんじゃないかな。もう記憶が朧げだけど。
でも余計なことばかり鮮明に覚えていて、ふとした瞬間にフラッシュバックした苦い思い出に、一日引きずられることもある。
自分の育ちの卑しさを引き合いに出して、なんでもある幸せな環境で育ってきたんですねと、ネチネチした感情をぶつけてしまうこともある。
相変わらず私は要らない過去で出来てるんだけど、本当にろくでもないなと、こんな人間が誰かの親であって良いものかと逃げ出したくもなる。
昔は頑なに「幸福である自分」を拒絶というか、そうであってはならないと思っていたけど、変わってきた。
地頭がよくないから、少なくとも危機感を持っていたい。あと楽しいとなんでもよくなってしまって、考えることを止めてしまう。
でも悲しさとか絶望とか、大きい感情に支配されたときも、全くなにも考えちゃいない。ただ悲しくてつらくて、その思いをひたすら反芻させてるだけで、どうしたら良いのかなんて考えてない。あと読書なんて全く出来ない。
次はどうしようかと考えられるようになったときは、ある程度落ち着いてからであって、その頃には本の頁を捲ることも出来るようになってくる。
一時期は、大きな喜びも悲しみも要らない、平坦な日々が欲しいと思ってみたりもしたけど、それも私の性に合わないみたいで。思春期などに比べてみたらまだマシな筈なんだけど、なかなか心穏やかには生きられない。
なんとか心の自浄作用を手助けしてくれるのが、読書という趣味であったりする。
テレビを見たり、漫画を読んだりといった娯楽と等価値ではあるんだけど、たまに心の澱がスッと消えていく感じがするので大事にしたい。あるときは文章によって救われることもあるし、読書に集中することによって目の前の難題から逃れられたりもする。
身軽ではなくなってしまったから、頁を捲ればどこにだって行けるというのも大きい。
こないだ本屋に寄ったときに、あれもこれもと手に取ったら、今の経済状況からいうと買いすぎなぐらい買ってしまった。
早めの自分へのクリスマスプレゼントということで、まあいいかとする
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