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いちご、はつもの



はじめての世界で遊んでいただきました。

一行詩の連詩。一つ前の詩から一語摘んで使う「いちごつみ」


 言葉、というのは生き物だとつくづく思いました。皆さんの操られる「いちご」からの一行がとても豊かで、読んでいてほうっとなりました。詩とか、俳句とか短歌といったものに、あまり親しんでこなかったので、この限られた空間で言葉を取り回すことが、新鮮でもありまた、刃物を扱うような気がすることもあります。

 そんなわたしが無謀にも飛び込んだ訳ですが、ありがたいことに包み込んでいただいて、色々と教えてくださいました。

 全体で描かれている映像というのかドラマというか、わからなくなっております。。(穂音)
 全体的なストーリーや映像と言うものは、むしろ持たないものなんです。
この場面から一語を使って、どんどん転じてゆく。そこに面白さを見出す遊びだと (中略)  俳句の連句も、実はひとつ前になんとなく寄せながらどんどん違う場面、映像を描いていく。そこに面白さがあると考えるようです(吉田翠さん)
 全体像で考えなくて大丈夫です。
前に寄せても場面転換しても、独立してもいいんです(悠凛さん)
 連詩は全体の整合性が取れないことから文学史の中で失敗に終わった文芸なのです。連句は景観や季節の移ろいを参加者が共有するからうまくいって今も残っている。
 周囲との調和などは考えず、ぜひ個人の感情や世界を大事に書いてみてください(矢口れんとさん)
 自分が描きたいことを素直に表現すれば良いと思います。摘むというシンプルなルールなので、発想の翼を自由に広げてください(笹塚心琴さん)


 これが、わたしの理解したいちごつみの世界です。シャボン玉が、発芽して、ちぎれて新しいシャボン玉が産まれていく。

 色の違いは、人を表していて、大きさは言葉の量になります。以下同じ。

スライド1


  連句だとこうかな?

いちごつみ



 同じお題で俳句を詠むのは

スライド3

 俳句は、風景や心象を「フレームで切り取る」という印象が強いので四角です。あくまで、わたしの印象ですね。


 小説の連作だとこういう感じ

スライド4



 すごい刺激をいただきました! 楽しかったです。

 また遊んでくださいませね。

 本物の苺は、まだちょっと高いよね。もう少しおあずけです。


 

thanks to

 参加の皆さまの最新記事こちらから(いちごつみ以外の記事)

 

最後はこの綺麗なイベリスのお写真で!


 ありがとうございました!

お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。