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介護士になろうと思った理由と最近見つけた自分のこれから

新卒で数えると2年目。次の4月で同級生たちは3年目になる。その中で自分はおやすみ期間で時が止まっている。姉にクズや障害者と呼ばれてしばらくして自分のクズじゃない面を探し始めた。私にできた1年半の介護士という仕事は誇りだ。姉にはできない仕事だと思う。私も姉の仕事はできないししたいとは思わない。
ふと、なんで就活の時に私は介護士になろうと思ったのだろう?と自問自答した。この機会に大学で福祉を学んだわけではない私が介護士を目指そうと思ったのを綴ろうと思う。

1つ目。
大学生の時にボランティアサークルに入り、ボランティアをしていたから。
サークル自体は飲みサーな感じがして好きではなかったけど大学4年間所属していた。4年生を迎える前にコロナ禍になったため活動したのは実質3年間になる。そこで障がいを持つ方に関わった。大人も子どもも関わった。知的障害、身体障害、失語症の方もいた。3年生の時は大人の知的障害と身体障害を持つ会の活動を担当していた。自宅から2時間かけて月2回の土曜日を使っていた。2時間?!ってなる人もいるだろう。なんでそのためにわざわざ行ってたのかと思う。あの頃も今もだが私は自分に自信がない。とてもネガティヴ思考だ。だから活動に関わる人からのありがとうや遠いのにまた来てくれてありがとうねと1年生の頃から言われたのが嬉しかった。帰り道はヘトヘトだが達成感があった。活動としては障がいを持つ方の親御さん達が主催なのでのんびりしてた。散歩したり音楽を楽しんだり、季節のイベントをしたり。午後はゆっくりのんびりする時間もあって平和だった。親御さんと普通に雑談することもありそれがまたいい時間だった。誰かのために頑張ること、誰かと楽しむことの楽しさとやりがいをそこで知れた。人と関わるのが楽しいと思えた。

2つ目。
母が介護施設の看護師をしているから。
物心ついた時から母は介護施設の看護師をしていた。姉や私が産まれる前は病院でも働いてたようだが今は介護施設で働いてる。だから他の子よりは少し介護施設のイメージがしやすかった。夜勤の大変さも見ていたのでやるなら若いうちに1回やりたいと思った。結果的に夜勤も早番も大変だった。それを知れたのも経験したのも今となってはいい思い出だ。無職になってからは母に協力しようと思うことができ、家事をするようになれた。料理は相変わらず好きじゃないけど…(笑)

3つ目。
就活の軸が自分のやったことが目に見えることだったから。
それぞれで働く上の目的、目標というのがあるだろう。大学3年生の時は特に思わなかったが、途中でコロナ禍になり就活ができなくなった期間があった。そして4年生になってまた就活ができた時に人に関わる仕事がしたいと思った。人と関わり、その反応が直接返ってくる。お金も大切だと思うが自分のやりがいは人と関わることだと思うから。接客業やホテル業、観光業も考えたが、その時はコロナ禍でどうなるか分からなかったからとりあえず介護士を目指した。

今私が社会復帰後にこうしたいと思っているとはデイサービスの介護職員になることだ。私がやりたかったの人を楽しませること。施設ではそれがレクくらいでしか出来なかった。30分の時間で私がやりたかったことは終わり、それからはほとんど決められた業務をこなすだけで燃え尽き症候群になっていた。レクを目的としているデイサービスなら私がやりたかったことができるのではないかと思い始めた。これからの道筋の1つとして考えていこうと思う。また新しく見つかったらそれも検討してみようという気持ちを込めて。

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