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心の性別なんてない

6月23日、LGBT理解増進法が施行された。
正式名称は「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」。

近年さまざまな形で話題になっている
LGBT問題について
以前からずっと思っていることがある。


LGB と T は関係ない。
同列に議論すべきではない。


その理由について書いていきたいと思う。


LGBはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル。
男女それぞれの同性愛者、および両性愛者。
性的指向の話。

Tはトランスジェンダー。
身体の性別と性自認とが一致しない人。
性同一性障害の話。


たしかに同様の差別を受けてきた
歴史的背景があることを考えると
同じ枠組みとして差別を撤廃すべきだ
とするのは理解できる。
しかし、この「同じ枠組み」が問題である、
という話をする前に、
特にここ最近で問題が頻発している
トランスジェンダーに関して
世間であまり議論されていない疑問がある。


心の性別って、そもそも何?


トランスジェンダーを説明する際に
身体の性別と心の性別が異なる人、
と表現されることがある。
男の体に女の心、また、女の体に男の心。
そんな風に言われることが多い。

身体の性別は生物学的・医学的に定義されているが
心の性別に関しては定義されていない。
定義されていないのに、
男の心、または、女の心を
どのように判断しているのだろうか?


結論から言うと、
心に性別なんてないと僕は考える。
それは
トランスジェンダーなんて存在しない
ということではない。

心に性別はないが、
性別違和という現象は存在する。
身体の性と心の性が一致しないから性別違和があるのではなく
性別違和という現象があることで、身体の性と異なる性としての心の性という概念が発生する。

つまり、身体男性を例にすると
【男体】×【女心】=【性別違和】
ではなく
【男体】×【性別違和】=【女心だと自認】
ということだ。

僕がなぜこう考えるかというと、
前述の通り、心の性は判断できないからだ。


「男の心」「女の心」を自認する人は
何をもって心の性を判断しているのか?
性自認における性とは
ジェンダーアイデンティティともいうように
セックスではなくジェンダー、
つまり社会的・文化的な性だ。
いわゆる「男らしさ」「女らしさ」だが
昨今はジェンダーフリーの時代ともいわれており
そういった固定概念にとらわれない考えが主流となっている。

自分の話をすれば、僕は身体男性だが
かわいいキャラクターが好きで
メンズよりレディース服が好きで
甘いものが好きで
髪はできるだけ長く伸ばしたくて
人前で着替えることに強い抵抗がある。

上記の特徴に関して「女みたいな奴」と言われたことは多々あるが
僕は一度も自身の心の性を女と思ったことはない。
どの特徴も、男でも女でも、そういう人もいればそうじゃない人もいるからだ。
どの特徴も、男らしいとも女らしいとも思わない。
しいて言うなら「僕らしさ」だ。
そのらしさを性別で分けることこそが、
性差別的だと思う。


そしてもう一つ。
心の性の判断基準として考えられてきたのが
性的指向だろう。
男のくせに男が好き、だから心は女。
女のくせに女が好き、だから心は男。
そう言われる時代もたしかにあっただろう。
しかし、これはLGBの観点からも間違いであることがはっきりしている。
これも「らしさ」の観点では
女が好きなことが男らしさ
男が好きなことが女らしさ
だとされてきたと考えられる。
まさにLGB差別の根幹となる固定概念だ。

かわいいものが好きだろうが
カッコいいものが好きだろうが
男性が好きだろうが
女性が好きだろうが
そんなもので心の性別は測れない。

そもそも心に性別なんてものはなく
あるのは、体の性に対して
違和があるかないか、それだけだ。
というのが僕の考えだ。


以上のように、トランスジェンダーにおいて
安易に「心の性」という概念を用いるのは
性差別、LGB差別を含んだ解釈に陥りやすく
そもそも別個に考え整理すべき問題のため、
LGB と T を
同じ枠組みで考えることに僕は反対だ。
同じ枠組みの問題だと誤認させることこそ
ジェンダー差別を助長していると考える。


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