さよならディポ

ビクターオラディポが好きだ。

そのディポがついにペイサーズからトレードされたと正式に発表されてしまった。

画像1

ディポがペイサーズに所属していたのは2017-18シーズンからなので3年とほんのちょっとの期間でしかない。ペイサーズのユニフォームを着て試合に出場したのは何試合ぐらいあるんだろう?と思って調べてみたら計139試合だった。改めて見るとたったそれだけしか一緒に闘えなかったのか、と思う。考えてみればディポが丸々1シーズン健康に過ごせたのは17-18シーズンだけだった。後は本当に怪我に悩まされた。

ディポ在籍時ペイサーズは全ての年でプレイオフに進出したが、全て一回戦敗退だった。つまりディポをエースに据えて戦ったこの数年は極論プレイオフ一回戦止まりのチームにしか過ぎなかったわけだ。レジーミラーやジャーメインオニール、そしてポールジョージら歴代ペイサーズのエースと比較しても見劣りする結果しか残せなかった。ディポが今後ペイサーズの永久欠番になることは絶対にないと思う。

そんな選手だ。

もし日本史・世界史に加えて「インディアナペイサーズ史」なんて科目があるとしたら「ビクターオラディポ」という選手がその教科書に記述される量はきっとそんなに多くないと思う。

それでも

私にとって「ビクターオラディポ」という選手は特別な存在だった。多分他にもそう感じているペイサーズファンの方は大勢いるんじゃないかと思う。

画像2

This is my city

彼がくれたこの言葉に本当に沢山のものをもらったから



ディポがペイサーズにトレードでやってくる直前のオフシーズン。ペイサーズは当時のエースであったポールジョージの去就に揺れていた。ポールはチームを出たがっていると連日のように各メディアが報じ、様々な噂がネット上でも飛び交っていた。ポール本人はTwitterで「アイムペイサー」なんて言ってみたりはするものの実際の行動とは全く伴っておらず、この時期はファンも随分と振り回された。そして傷ついた。

何故こんなに振り回され、傷ついたのか?

当時のことは今でもよく考えるけれど今でもこの気持ちをまとめきれる自信がない。

自慢じゃないけれどインディアナペイサーズというチームのファンをやっているとちょっとやそっとのことでは動じなくなると思う。何せこちとらNBAに加入してから一度も優勝したことのないチームのファンをやっているのだ。他にも歴史に残る大乱闘をやらかしたりコーチがアイザイアトーマスだったりしたことがあるなど、一通りの地獄は見てきた者達だ。面構えが違う(本当に何の自慢にもならないことだけど)。

しかし、このポールジョージが移籍することになった一連の騒動で私は自分でも想像していた以上に傷つき、疲弊した。多分私はこの騒動を通じて

初めてインディアナペイサーズというスモールマーケットのチームを応援し続けることに自信がもてなくなった

からこんなにも傷ついたんじゃないか、と今にして思う。



当時のペイサーズのロスターを改めて冷静に振り返ってみると中々に酷い。

画像3

こんなことファンの口から言いたくはないけれど、選手として全盛期を迎えていたポールがペイサーズを出ていきたいと言い出しても不思議ではなかったよな、と思う。昨今のトップ選手の在り方を見ていても、自身のキャリアが全盛期を迎えている時期に優勝できる可能性がないと判断すると移籍志願をすることは多い。所謂ジョーダン世代を見てきた私にとってそれはあまり好みではない流れではあったけれど、要はポールだけが特別ワガママだったわけではないと思う。

ファンも分かっていた。ポールジョージというスペシャルな選手がここに居たいと思わせるだけのチームを作れなかったことを。ファンであるからこそ痛い程よく分かっていた。分かっていたからこそ、ポールの移籍志願はある程度仕方がないものだと思っていた。だから受け入れるつもりもあった。少なくとも私はあった。

しかし、何がどこでこんなにも拗れてしまったのかポールは移籍前だけでなく移籍した後も、当時のペイサーズを指して「あの時あぁしてくれれば良かったのに、こうしてくれれば良かったのに」と様々な批判コメントを漏らすようになった。

これは例えて言うなら

「君みたいな美女、僕に相応しくないのは分かってるよ。君ならもっとハイスペックな男子と付き合いたいよね。分かってるよ。今まで付き合ってくれてありがとう」

と潔くフラれる覚悟を決め快く送り出そうと強がっている所に

「ホントよね!貴方って人はこうであぁでここが駄目であそこも駄目でホンットにもう最低で…」

とネチネチ言われたような感じだった。

ポールにもポールの気持ちや事情があるのは分かっているつもりだったが、後に彼が発言したコメントの数々(最初からカワイレナードとプレイしたかったことやADを獲得してほしかった…等)は当時の状況を考えるとどうしようもなかったことも多く「色々言いたい気持ちは分かるけど、別れたんだからもうお互いの傷口を攻撃しあうのは止めよう」と言いたくなることが多かったのも確かだった。


加えて当時のTwitter上のタイムラインもこのしんどい気持ちに一層の拍車をかけることになった。当時ポールはロサンゼルスレイカーズに移籍志願をしているという報道が加熱していたこともあって、トレードの噂に挙がっていたのはほとんどレイカーズを相手にしたものだった。

所が蓋をあけてみれば急転直下でオクラホマシティサンダーとトレードすることが決まり、これは誰もが寝耳に水の状態だった。

ポールジョージ

↕️

ビクターオラディポ+ドマスサボニス

というトレード内容は当時様々な識者からコテンパンに叩かれた。ディポはサラリーが高い。サボニスはグッドプレーヤーではあるもののまだ海のものとも山のものともつかない。にも関わらずドラフト指名権さえもつけてもらえなかった。

「ポールジョージを希望通りレイカーズに行かせたくないからって、サンダーに足元見られた結果あんなトレードしちゃって」

というような趣旨のツイートを見たことは一度や二度ではなかった(今となっては鼻で笑い飛ばせるから良い思い出だ)。

とにかく叩かれた。

こちらが想像して覚悟していた以上にありとあらゆる人や角度から「ペイサーズってホントに駄目なチームね」と言われた気分だった。もう勘弁してくれと思っていた。


ペイサーズは他のチームに比べて比較的ドラフト上手・育成上手なチームだと思う。FAで大物選手が加入することこそ滅多に無いものの、ドラフト指名権を上手に使いこれまでカンファレンスファイナルまでは幾度も進出していた。一度だけだがファイナルに進出したこともあった。スモールマーケットのチームが不利と言われる中で、自分達なりの戦い方で勝ち上がろうするチームだった。

ある意味ポールジョージという選手はそんなペイサーズの戦い方の最たる成功例と言っても良かったんじゃないかと思う。このやり方の先に、この戦い方のその延長線上にいつか「優勝」があるのだと。いつかはそこに手に届くのではないかと願っていた。

でもこのトレード騒動を通して

インディアナペイサーズってこんなにボロクソに言われなきゃいけないのか。結局限られた選択肢の中から選手を大事に育ててもみんな出ていくんだ。結局は誰も来たがらないし誰も残りたがらない。

そんなチームなんだ。

と、ペイサーズを応援するようになってから初めてこんなネガティブな感情を抱くようになってしまっていた。



画像5

そんな気持ちをどこに引きずったまま開幕した2017-18シーズン。

「それ」はシーズンが始まったばかりの第6戦目VSサンアントニオスパーズ戦の終盤に起きた。ゲームは終盤までもつれ、逆転のシュートはディポに託された。マッチアップしていたオルドリッジを素早いステップバックでかわし、見事逆転のスリーポイントをねじこんだ後、両手の人差し指をコート上に指差し

This is my city

「これは俺の街だ」

と言ったのだ。

最初このコメントを聞いた時、私は嬉しさよりも戸惑いの感情の方が先行してしまった。え?俺の街、って…君はここに居たいの?だってペイサーズだよ?インディアナだよ?本当に良いの?シーズン前の評価知ってる?ESPNからは「今季の楽しみはシーズン終了後のドラフトぐらいしかない」とか言われていたチームだよ?と思ってしまったぐらいだった。

正直私はこんなことを言ってくれる選手がこのタイミングで表れるだなんて思っていなかった。このチームや、この街を好きになってくれる選手なんかいるわけない。私はこの気持ちを抱いたままこの先何年かはペイサーズを応援することになるんだろうな…と覚悟していた。

そんな時に、一番欲しい言葉をタイムリーに言ってくれる選手が表れるなんて想像できただろうか。自分の応援しているものの価値を疑ってしまっていた時に、「そんなことないよ」と言ってくれる選手がいるなんて想像できただろうか。


シーズン序盤、ポールがいなくなりエースが不在になったこのチームで誰が次のエースになるのかは定まっていなかった。世間は若手のマイルズターナーに期待していたし、ファンは出戻り組の放蕩息子ランススティーブンソンにも期待していた。

ところが、蓋を開けてみればその座に居座ることになったのは戦前「サラリーが高すぎる」との評価をされていたビクターオラディポだった。恐らくこの試合をきっかけに彼はファンの心を掴み、インディアナペイサーズのエースとしての道を歩み始めたのだと思う。

ディポはこの後誰も予想していなかった大躍進を遂げシーズンを駆け抜け、オールスタープレーヤーになり、シーズン終了後にはMIPにも選出された。


今思い返してみても2017-18シーズンのペイサーズはちょっと特別だったと思う。前述したように戦前評価は散々なものだったけれど、だからこそあのシーズンのメンバーは誰もが何かを見返したい、証明したいという気持ちがあったのではないかという気がしている。当時迷惑系PGと言われていたダレンコリソンも、評価が急落し何処からも声がかからなかったランスも、ただのシューターと思われていたボヤンボグダノビッチも、大損トレードの交換相手の一人だと言われたサボニスも、ポールに見捨てられたチームにいたサディウスヤングも、マイルズターナーも、みんな「インディアナペイサーズというこの場所で」証明したい何かがあった。そして、その気持ちの中心にいたのは間違いなく

ビクターオラディポ

だった。

This is my city

という言葉は逆転シュートを決めた後の高ぶった感情から発せられた一時だけの言葉ではなく、エースとしての覚悟と行動が伴ったものだった。だからこそチームもファンも彼をエースとして認めこんなにも心を動かされついていくことができた。何を考えているか分からない所も多かったディポだけど、コート上のプレイを見ればその言葉に嘘は無いと信じることができた(逆にプレイできない状況下でリーダーシップをとることは苦手なタイプだったと思うので怪我以降は辛かったし難しい関係になってしまったと思う)。彼を中心にこの年のペイサーズは下馬評を覆す結果を残しファンはその活躍に驚き、喜び、そして救われた。

彼が所属していた僅かな時間、インディアナペイサーズというチームは間違いなく彼の街であり彼のチームだった。


画像4

自分の好きなものを他者に貶されるのはキツい。

外からだけでなく内からも否定されるのは本当にキツい。

インディアナペイサーズのファンです

なんて「たかが趣味」の話なんだけれど、当時自分の好きなものをここまで批判されたのは自分自身をも批判され否定された気分だった。そんな批判気にする必要ないぜ!と思える程私は器用な人間ではなかったし、スルーするにはペイサーズのことを好きすぎた。

そんな気持ちを一瞬で変えてくれたのは、間違いなく

This is my city

 という言葉だった。

画像6

それから3年が経ち

知っての通り、この物語の結末はハッピーエンドにはならなかった。紆余曲折を経て結局ペイサーズとディポはそれぞれ違う道を歩むことになった。でも今の私はあの時の自分のように、このチームを応援し続けることに自信をなくしてなんかいないよ。

私はあの瞬間

「これは俺の街だ」

と本気で思う選手が一時でも居てくれたことで本当に救われたんだ。


こんなことはデータには残らない。時を経ていつかこの年のペイサーズのことを誰かが振り返った時、データを見ただけでは「48勝34敗」「プレイオフ一回戦敗退」というパッとしない年だったなと思うかもしれない。

この年に感じた様々な気持ちを今私は一生忘れるつもりはない。ないけれど、この歳になると「絶対」なんてものはなくて、自分自身の気持ちだってうつろいゆくものだと知っている。「絶対忘れないよ!」なんていう言葉がどんなに薄っぺらい言葉なのかよく分かっているつもりだ。

だからこの気持ちを忘れない内にこうやってここに書くことにしたんだよ。


ビクターオラディポ。ディポ。

君がインディアナペイサーズに居てくれて良かった。

This is my city と言ってくれてありがとう。

あの素晴らしいシーズンと素晴らしい時間をありがとう。

君が巻き起こした熱は遠く離れた日本にも届き、沢山の楽しい思い出をもらいました。あの時この気持ちを共有できた沢山のインディアナペイサーズファンとこのシーズンをきっかけに交流をもつことも多くなり、それは今の私にとってかけがえのない財産になっています。

私が今も胸を張ってインディアナペイサーズのファンでいられるのは貴方のお陰です。

ありがとう。

そしてさよなら、ディポ。

画像7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?