越後2009_-_79

袖うちはらふかげもなし

駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野の渡りの雪の夕暮
定家

馬を止めて袖にかかった雪を払いたくても、物陰も見えない一面の雪の原。「袖」とあるから、馬で行くのは公達だろう。白い風景に、一点の色彩。このまま広重まで一直線につながるような構図だ。かげもなしと否定語で止めたあと、佐野の渡りの雪の夕暮浦の苫屋の秋の夕暮と同じリズムを刻む。

本歌は万葉集・長忌寸奥麻呂の
苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
だという。狭野は「さの」と読む。やんなっちゃうなー、三輪の崎まで来て雨が降ってきたよ。川の渡りに家の一軒でもあれば雨宿りさせてもらうところだけど、なーんもない。という素直な感想表明を "before" として、定家はまず、詠み手を詠まれる風景から分離して、遠景構図とする。雨を雪に変え、馬を歩ませ、その背に乗る人の身分を「袖」によって示唆する。音もなく降る雪の原、繋留されている渡り舟にも雪は積もっているだろう。そんな夕暮を馬がゆっくりと遠ざかってゆく。この完成度。

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