第12話| 平安時代まで「わ」行はぜんぶあった
このまえビブリオで「さんかくの本」ていうのを見つけた。おじちゃんに取っておいてもらって、今日お小遣いもらったから買いに行った。でもこれは僕が読まないで、へいまにあげるんだ。へいまはゆう君の弟で、まだ赤ちゃんだ。大きくなって読んだら、僕に話させる。おもしろそうでしょ?
ゆう君ちに行ったら、今日は夕方からライブで、僕も後ろの席で聴いた。休憩時間のとき、ピアノ弾いてたおねえさんが僕に「一人で来たの?」ってきいた。「うん」。一人でジャズ聴きに来るのって、えらいらしい。へいまは眠くてぐずってた。
兄ちゃんに迎えに来てもらって、いっしょに帰った。兄ちゃんも聴けばよかったのに。かっこいいよ。
寝るまえに正法眼蔵を開いた。ダザイ、まだ寝るなよ。
ダザイは寝ない。
諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知(かくち)することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証(あか)しもてゆく。
「もちゐず」って、なんて読むの?
モチウィズ。
英語っぽいね。
平安時代の終り頃までは「わ」行が全部あったんだ。
全部って?
わ・ゐ・う・ゑ・を。
どう発音するの?
wa, wi, wu, we, wo.
そっか!
どうした?
なんで「お」と「を」があるのか、小学生のときから変だと思ってたんだ。
今も小学生じゃなかったっけ。
うん。小学生時代、長い。「お」と「を」って、もとは発音がちがったのかー。
wa 以外は「わ」行から w がなくなって、「い・う・え・お」と区別がつかなくなった。
平安時代の終わり頃って、いつ?
ちょうど、みちもとが生まれた頃。
そうなんだね。自己は諸仏なりと覚知することを、もちゐず。自分が仏だと自覚することを、モチウィズ。
しかあれども証仏なり。自分が仏だなんて思いもしないけど、それこそが仏の証なんだ。
あした学校で「もちゐず」をみんなに教える。
(つづく)
挿し絵|富澤大輔
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