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波動説/道元の教え 1

尽十方界是箇真実人体なり 生死去来真実人体なり |正法眼蔵「身心学道」

君は君の皮膚とその内部ではない。君は、君の見、聞き、知り、触れ、思うかぎりの世界の全部(尽十方界)なのだ。君を含む世界の全体こそが、君の実際の身体(真実人体)なのだ。今ここにいる君が君なのではない。君がいる今を含む時間の全体もやはり、君の実際の身体の一部なのだ。かつて生れたことも、やがて死ぬことも、いやそれだけでなく、君の記憶し、伝え聞くかぎりの過去と、君の期待し、想像するかぎりの未来の全体も、君の身体の一部なのだ。君が笑うとき、君の尽十方界が笑う。君が泣くとき、君の尽十方界も泣く。

君の真実人体と、僕の真実人体とは、一致しない。一致はしないが、交わることはある。君の経験する世界と時間が、僕の経験するそれと重なる可能性はあるからだ。現にいま、君は、僕の書いたテキストを読んでいる。テキストが君と僕の中間にあって、異なる二つの真実人体を交叉させている。

数学に「近傍」という概念がある。点pの近傍とは、pの「まわり」、pの「付近」ということだが、たとえば「pを中心とする半径1の円の内部」は、pの近傍の一つだ。半径は2でも2000でも、0.002 でもよく、大きさは関係ない。円である必要もない。pのまわりの、適当な形の領域であってかまわない。どんなに小さくても、大きくても、pを含む領域、これをpの近傍と呼ぶのだ。(ほんとうは「領域」の概念に条件があるのだが、いまは無視しておく)

すると、「尽十方界」とは、君の(最大の)近傍だ。君のすべての近傍の総和といってもいい。そこには過去も未来も、君の(時間的)近傍として含まれている。君とは、君の真実人体とは、君の最大近傍なのだ。君は近傍として存在している。それを U としよう。U は君固有の近傍なので、君(p)のタグを付けよう。僕は僕のタグqを付ける。U(p) と U(q) が、いまこのテキスト上で交叉している。

世界にはp,q以外に無数の人々がいる。人だけじゃない、動物も植物もいる。山もあり、海もある。それらのタグ(x)をすべて並べることができれば、世界とは、個xの集合ではなく、近傍 U(x) の集合なのである。この風景を描くとしたら、世界は無数の粒子の集まりではなく、水面の波紋のように重なり交じりあう波の集まりとして描けるだろう。

もちろん、これまで通り、世界を粒子の集まりとみて一向に構わない。だが、波紋の集まりとみることも「あり」なのだ。もし起きているいろいろな事が「粒子説」上で解釈され判断され行動に移されているなら、これを「波動説」上に移してみればまたちがったやりかたが見えるだろう。

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