こんな人です|Author's profile
家が田舎の医院だったもので、気が進まないながらも医学部に行った。案の定ドロップ・アウト。がしかし、顕微鏡下に見た極彩色の細胞群のことが忘れられず(注、細胞自体は無色。染色液により発色)、その神秘を解くには分子生物学以外の方法が必要と確信して哲学と生物学の境界を探った。成果を「免疫の意味ノロジー」現代思想 vol.20-8、「分裂と融合」同 21-10、「微の分析」23-8 などに報告した。この頃ウィトゲンシュタインに傾倒していたため、筆名を伊藤源石とした。
それがちょっと一段落した頃、ふとしたことで道元に出会った。めったに晴れない山頂が10秒間だけ見えたような瞬間だった。美しい。そして険しい。
解説書を数冊読む。どれも信用できない。もしかすると、正確な解釈はまだ世に存在しないのではないか。ならば自分でそれを作ろう。準備が必要だ。中世の漢語と和語が読めるようになるのがまず第一歩。法華経、華厳経、涅槃経など主要な経典を読むのが二歩め。仏教史の概要を知るのも必要不可欠。もしかしてこれは泳げない人が水泳でオリンピックに出ようっていうのに似ているんじゃないか、とは思わないおめでたい性格のため、ひたすら作業を進め、また一方、これまでの解釈者の視野に入っていないであろうまさかの輝くアイデアを、言語学・仏教学の外に探しに行った。たとえば数学、たとえば建築が、それかもしれなかった。
やっと、一冊本が書けた。2015年頃。出版社を探した。一社めは原稿を預かってはくれたが、預かりっぱなしだった。こちらから断ったその日、やけくそで神保町を徘徊し、東京堂に寄って、入って最初に目が合った背表紙に『禅仏教の哲学に向けて』の文字を見た。著者は井筒俊彦。これだよ、おいらがやろうとしてるのは。出版社は?「ぷねうま舎」か。よっしゃ。すぐに手紙を書いて、原稿と一緒に送った。いろいろ細部の修正を経て、2017 年の夏に『跳訳道元 –– 仏説微塵経で読む正法眼蔵』が出版された。また現在継続中の研究を公開するためにインターネット上に正法眼蔵研究所を開設した。
1995 年から 2010 年まで、東京駿河台にある(あった)文化学院に教員として参加した。奇跡のような学校だった。担当した集会(それを僕は授業とは呼ばなかった)に何とタイトルを付けても良いと言われたので、 "SoF" とした。ジャン・ヌーヴェルの "Elements of Architecture" の中にあった "slightly out of the frame" というフレーズに由来する。もう一つ、高校生のクラスで「バイブル」を担当した。Bible の語源を調べたら「本」だ。パピルスに書かれたものというのが、ギリシャ語訛りでビブロス、それがバイブルになった。「本」は聖書とは限らない。いろんな本の知識をその集会の催しに注ぎ込んだ。
元サッカー日本代表監督、イビチャ・オシムの「つねに選手から学んでいる」という言葉を、いつも思っていた。教師の心構えとしてだけじゃない。教エ育テル、業ヲ授ケル、義ヲ講ズルという用語が示すフォーメーションを崩そうと思った。卓越した個人技をもつ司令塔がピッチを支配する時代は終った。そもそも卓越しているかどうかなんて怪しい。それよりも、プレーヤー全員の創造性を 120% 解放すること、それだけをめざした。
家族や学校という小社会は、異なる世代の混在によって特徴付けられる。先住民=親・教師が、移民=子供・学生にいろいろな伝承を教える。だが、それを繰り返すだけだと、単に移民が先住民文化に同化するだけで、だんだん島は退屈になり、衰退に向かう。楽しい島にするためには、移民が身に携えてきた文化を先住民がいかに吸収するかが肝心だ(それを考えたことすらない先住民が多いけど)。移民たちは大抵学ぶ意思はあっても、教える意思をもたないのだから。
そこで、移民たちが最大限自由にふるまえるような環境を注意深く維持することを心がけた。規律はあたかも無いかのように、目立なくさせた。先住民は移民たちのふるまいを通じてその文化を学べばいい。学ぶ姿はまた移民もこれを学ぶにちがいない。そういう相互作用によって豊かになっていく文化を携え、移民たちはまた未知の島々や大陸に旅立っていく。
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お便り・お問い合わせは、正法眼蔵研究所にどうぞ。
• After graduating a medical school, I made investigations into philosophy and biology for about 15 years and wrote several essays including "Immuno-logics" and "Division and Fusion" in Gendai-Shiso.
• When Dōgen's masterpiece "Shobogenzo" struck me in the winter of 2001, I started to study Zen Buddhism and the related academic areas aiming at establishing a standard annotation and exegesis of the text, which I realize has never existed so far. Part of this work was published in 2017 with the title "跳訳道元––仏説微塵経で読む正法眼蔵" and on the internet site 正法眼蔵研究所: Smallest Institute for Big Thoughts.
• A photograph of a house designed by Luis Barragan made me an architecture-lover.
• Former teaching staff at Bunka-Gakuin School for Culture.
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