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「大学」のはじまりの痕跡を名古屋で感じた

8月の末に名古屋で開かれた「日本哲学に関するヨーロッパ・ネットワーク:ENOJP」に出かけていったのだけど、そこでいろんな新鮮な刺激をもらった。細かいことは省くが、「日本哲学」というのは「ヨーロッパ哲学」を後ろから追いかけているローカルな学問じゃなく、つまり後者の亜種ではなく、最近発見された新種として捉えられているらしい。テツガクは philosophy の単なる訳語ではない。固有の遺伝子をもつ知の領域なのだと。

初めて日本で開催された今回は第5回で、テーマは "Philosophy and Beauty" だった。従来、フィロソフィの伝統では、美学は哲学の応用という観があった。知と美とはひとまず別の領域であり、そう認識された上でしかるのち美は知によって基礎付けられるという枠組みだ。しかしテーマに付けられた日本語の副題「美の哲学・哲学の美」からも窺えるように、両者は対等であり、かつ境界なしに連続しているとする見方が前面に出されている。そして日本のテツガクには、最初から知と美とを区別しない態度が存在していた、というよりそれが当たり前の前提としてあったというのだ。

もしそうであるならば、テツガクの伝統を日本中世まで遡るとき、茶の湯も和歌も能も仏法も分離不可能な全体として立ち現れてくる。道元と定家と世阿弥が利休の茶室で一緒に茶を喫する図が浮かぶ。

モスクワの Zaryadye Park について、設計者の一人リズ・ディラーはこう言っている。「ここは人間のための場所であり、植物のための場所でもあります。植物と人間が対等に扱われます:Plants and people have equal status.」(YouTube) この言葉を借用すれば、道元は、仏法と人間が対等に扱われるように両者の関係を再設計した可能性がある。いや、うまく言えないが、仏法を究めることはそれを切り離し純化し分析することなのではなく、仏法を生活空間の設えの一つとしてそこに置くことなのだ。そう思うと、禅仏教に漂うある種の厳格さから解放される気がする。『正法眼蔵』の冒頭の巻の題名は「現成公案」だ。それは、公案(仏法の真髄)を公案として解明するのではなく、生活世界のなかに現成させるという態度の表明なのではないか。

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ENOJP5 が日本で開かれることを知ったのは、6月、谷口吉生設計の金沢・鈴木大拙館に行って建築道楽に耽り、そこに掲示されていたポスターを見てのことだった。研究発表の受付は締め切られていた。なので、A4三折のリーフレットを作り、会場の入口で参加者に配った。許可は得ましたか?などと注意されることはなかった。というより、注意されるような空気がなかった。その日の午後に発表予定だったダブリンから来たある研究者は、リーフレットにあったフレーズの一つを使っていいか?と尋ねてきた。もちろんだ。じゃんじゃん使ってよ。以前、ヨーロッパの大学の起源がストリート・ティーチング、知の大道芸にあったことを建築史の本* で読んだのを思い出した。カルチェ・ラタン、当時の知の共通言語であった「ラテン語の行き交う街」という名称は、その痕跡だ。痕跡を名古屋で感じることができた。

その怪しいリーフレットの内容は、正法眼蔵研究所でどうぞ。

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* 岩城和哉 1996 『知の空間 ––– カルチェラタン、クォードラングル、キャンパス』丸善出版

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