見出し画像

祈る契り

年も経ぬ祈る契りははつせ山をのへの鐘のよその夕暮
定家

村尾解説* によると、長い年月に亙った恋の終りの歌だそうだ。長年の契りがこれからもずっと続くように祈ってきたが、その契りがついに果てる時が来てしまった。「はつせ山」は平安時代の人々が恋の祈願をした奈良の長谷寺のこと。「果て」との掛け詞になっている。「をのへの鐘」は "峰の上の鐘" と訳されている。「を」がどうして峰なのかよくわからないが、そのうちだれかが教えてくれるだろうと人任せにすることにして、とにかく、その鐘はもう、よそ(余所)に夕暮を告げる音となってしまったのだ。夕暮はデートの時間である。

別解。これは苦しい片思いの歌で、彼女と契りたいと初瀬の山に祈った月日は、もう何年にもなる。その祈りも力尽きたのだろうか(果つ)、今日もまた、よその誰かのために山寺の鐘が夕暮を告げる。

年を経たのが契りの期間なのか、祈りの期間なのかで、まったく違うわけである。祈りの期間としよう。そうであれば、「よその夕暮」はより無慈悲に響く。もし契りあえたなら、夕暮ほどワクワクする時間はないはずだ。でも契りあってるかもしれないのは、知らない「よそ」の誰か。同じはずの夕暮が、全く違った姿で暮れてゆく。

------
* 村尾誠一『藤原定家』笠間書院 2011

写真=モエレ沼公園 イサム・ノグチ設計

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?