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聖人の性


ダライラマ 14世が、少年に自分の舌を吸うように促している動画が、ソーシャルメディアで拡散され、ご本人が謝罪の声明を出される事態となっている。

あのダライラマが、、、と世界中の人々が驚いているだろう。

ことの真相は常に謎だが、私はふたつのことを感じる。

ひとつは、反ダライラマ勢力にハメられたということ。政治的な力を失わせるために、スキャンダルを作り拡散する機会を、虎視眈々と狙っている勢力が存在する。

もうひとつは、肉体を持った以上、肉体的な欲求を完全に消すことはできないということ。
女人禁制の仏教寺院や修道院では、男色は当たり前のことであった。戦の場でも同様である。性的なエネルギーは生命の根源である。宗教的な教義や道徳といったもので押さえ込むと、行き場を失ったエネルギーは違う形で噴出する。
ましてや、ダライラマのゲルク派は、チベット仏教の中でも厳格な戒律を持つと言われている。
花街でアブノーマルな趣向を持つのは、僧侶に多いという話は本当か嘘かわからないが、たまに耳にする話である。

今回の一件にショックを受けた人たちは、ダライラマを、人間ではない仏のような存在、どこか自分より遥かに高いところに置いていなかっただろうか?

自分を誰かより低いところにも、高いところにも置く必要はない。

タオやタントラは、セックスをタブー視せず、性エネルギーをどう扱うかということに、堂々と向き合う。

肉体を持った以上、性エネルギーは無くならない。それを霊的なエネルギーに変容させるのが、本来のセックスだと、タオやタントラは教えている。


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