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「なぜ恐怖を感じたくない?」

「なぜ恐怖を感じたくない?」

あれは怖かったなぁって思い出されるような、出来事はありますか?

僕が子どもの頃、
親父が酔っ払って暴れたとき、
母親が「殺されるぅ」って叫ぶように放ったあの声が、隣の部屋から聞こえてきたとき、
「死」を近くに感じて恐怖を覚えました。

これは最近までいわゆるトラウマ、として僕の記憶の中にこびりついて、剥がれなかった強い記憶の一つです。

恐怖とはなんでしょうか。

人が怖いと感じるのはなぜなのでしょうか。

恐怖という感情はなぜ人間に備わっているのか。

怖いと感じることは誰にでもありますよね。
子どもでも、大人でも同じはずです。

恐怖の裏には不安がいますね。
不安だから、どうなるか分からないから、目に見えないから。

「死んだらどうなるんだろう」
と中学生くらいから考えるようになって、想像すると怖くて、考えるのをやめるために違う事をして。

僕は何が怖かったんだろう。

学校で友達との生活が終わってしまう事とか、と言うより、

「僕という存在がどこへいってしまい、僕のこの意識や思考はどうなってしまうのか、肉体が無くなったら、どう僕は存在するのだろうか。」

そういう事を時々考えて、理由もなく怖くなったのを今こう書きながら思い出しているところです。

今同じことを考え、想像してみても、あまり怖くないんだな、という事にも今気付きました。

それは死後の世界がきっとこうなんじゃないか知ってきているとか、日々満足して生きているから、とかなのか。

それとも死が遠くにあるように感じているのか、死の恐怖への感受性が大人になったから落ちたのか、
いや多分今気持ちが高ぶって、楽天的になってるから、がもしかしたら適当かもしれません。

いずれにせよ、僕は恐怖に巻き込まれなくなったのです。
あんなに怖かった記憶たちも今はいくらでも話す事が出来るし、
トラウマと思っていた記憶も、思い出しても何も特別感じない、というか心がぶれない。そんな安定感を保っています。

僕は親父が暴れたあの夜、おかんの叫び声が恐怖でした。

でもその次の記憶は、暴れる親父を必死に止めようと、小さな体で親父に掴みかかっている僕たち兄妹の行動でした。

その時は恐怖だけではありません。

もうすでに様々な感情が混じり合った状態で、親父を止めにかかっていったのです。

「恐怖と勇気」

僕を動かしたものは、ほぼ間違いなく「勇気」でした。

「お母さんが殺される」
という恐怖と緊急性、緊迫した状況に立たされた時、その恐怖の奥から現れたのは、親父に立ち向かうと決めた「勇気」だったと思います。

必死でしがみついて、はじきとばされました。

オカンが髪の毛を掴まれて、ぐしゃぐしゃになっている光景が僕の中に残っています。

怖かったけど、僕は勇気を学びました。

親父の暴力は許されるものでは無いけど、
僕はあの出来事から間違いなく「勇気」、を身を持って学んだんです。

恐怖は悪ではない。
怖いと感じる事は人間的です。

人間の本能的な働きをそのまま感じ切って、自分で切り開くことでしか、人は成長しないと思います。

恐怖を感じたくないから。

楽しいとか、嬉しいとか、気持ち良いとか、そういう楽な感情だけしか感じないようになっていったら。

そのバランスが偏ってしまっていったら。

怖い、悲しい、苦しい、寂しい。

全ての感情、出来事には、対になる学びが必ずあるはずです。

人に傷つけられて悲しい思いをした人は、人に優しく出来る人です。

そうやって人の心の幅が大きく振れるから、
人は大きく寛容に、他人を受け止められる。

だから相手を否定しない。

受け止めてやれるから、
「その気持ちわかるよ」ってわかってるから。

自分に無いものは否定する。
でもそれは傲慢だ。

素直にただ受け入れてみたら良いのに、なかなか大人になると頑固になってしまう。

自分だけで生きようとしているとそうなってしまう。

そして子どもは親のその姿を倣う。
同じように、僕たちも親の姿を見て、そういう癖がついてきちゃった訳だよね。

そこに真摯に向き合うしかない。
「素直でいよう」と僕は自分に問いかける事がよくあるけど、これは本当素晴らしい事だから、伝えたい。

大人になると感じたくても感じる事が出来ない感情は増えてくる。

感受性が乏しくなるのは、万人共通だけど、大人になっても感じる事をし続けて、感情が豊かで、人間的に生きる事はできると思う。

子どもの頃、感じた事は今でも強く残っていませんか。

それほど感受性豊かで敏感なんですよね子供達って。
僕はそれをそのまま感じさせたほうが良いと思ってる。

僕が親父に恐怖を感じたように。

僕は先月から、子どもの頃から憧れだった古民家に住んでいるけど、

これも小学生の時に滞在した祖父母の古民家の心地良い記憶が鮮明に僕の中に残っているから。

あの夏の縁側で感じた風、
稲の香り、
黒く太い柱、
縁側の板の匂い、
庭の芝生とサラサラした細やかな白い砂、
ただ笑顔で隣に座るおじいちゃんの穏やかな顔。

どれも今よりも何十倍も感じる事ができたから、今の僕を形成する大事な出来事になった。

僕はお化けが見えないけど、彼らは生きる人間に恐怖を与えている。

そういうお役目をしてくれている。

「生きている」という実感を持たせるため。

「ちゃんと生きろよ」って言ってくれてるような気がする。

僕はうるさいカミナリ親父。

間違ってても良い。

僕は今の純粋な気持ちを伝えたい。

もうすぐ4時。

おはようございます。

もうこのまま起きます。