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「25日は本当のお父さんに会う日」って義娘が話していて、思うこと。

「25日は本当のお父さんに会う日」

義娘が遊びに来ていた、ゆうちゃんに話していた。

僕もその場にいて2人の会話が聞こえてくる範囲にいた。

僕はなんだか自分でもよくわからない気持ちになって、

寂しいような。

悲しいような。

別に何も気にならないような。


散々義娘とは色々あって、

彼女のことを娘として、

僕は父親として、

そういう理想的な関係に向かおうとしてやってきたりしたら

でもそれは現実とっても難しい場面が多くて、

義娘のことを避けたりしてきたり、

それはそうでもしないと自分がしんどかったとか、

嫌気がさしてとか、

色々あったけど、

出会った始めの頃は、たくさん彼女と遊んだし、お風呂に一緒に入ったり、「パパ」と呼ばれたり、

義娘の満たされない寂しさや愛情が足りないその境遇にも同情していたところもあったし、

とにかく複雑で、自分もたくさんごっちゃになっていた。

特に最近は療育のフリースクールで理央さんも本気で子供に向き合い始めて、

義娘もどんどん良くなっていっているのがわかった。

でも僕くは2人が仲良くなって、良い関係を作っていくのを白い目で見ているような、

なんだか心からその良い兆候を喜べない心がいたりして、

僕はそこが気になってはいたけど、なかなか観ることができなかったりして。

家族で福岡に先週行って来て、その時にまた問題が起きてて、理央さんに色々引き出してもらったりして、

おかんとアニキの関係性を理央さんと義娘に投影していることに気づいて、

気づいた、というか見て見ぬ振りして来たような、もう解決したと思っていたような、

そんな課題だったんだけど、

これだけ反応があるから、まだ終わってないのは当然で、

義娘が甘えたり、それに理央さんが応えたり、そういう何気ないやり取りにモヤモヤしていたり、

それは病弱で甘えん坊のアニキに対する不満とか、羨望、それが裏返って弱さを隠して、強がったり、

その分、愛情や関心を受け取ることを拒否してきたから、大人になってそういうものを受け取るのがヘタクソになってしまったり。

だから義娘に対するモヤモヤは、僕が子供の頃抱えていたアニキに対するモヤモヤで、

それを僕も本当は寂しいんだ!って言うこととか、そう言っている子供の頃の自分に寄り添って、耳を傾けてやるとか、

そういう事が今の僕には必要で、
少しそういう自分を観てやれてきた感じもしている。


義娘は義娘で嫌なヤツになりたい訳ではなく、

本当のお父さんにももっと会いたいって前教えてくれたし、

もっとお母さんと一緒に居たいとか、話したいとか、

今までできずにいたことを今たくさんしたいと思う。

僕は実子の赤ちゃんがいる。

「実子だから、って言うのは関係ないよ。」

なんて子育ての先輩の意見もある。

でも僕にはそれは綺麗事のようにしか思えなくて、やっぱりどうしたって実子がかわいい。

でも義娘にも同じような赤ちゃんの頃があって、

でもその時をこの実子のようにお父さんお母さんからたっぷり愛情を受け取れていなかったっていうのは事実としてある。

それを想像するととても悲しい事だけど、その悲しさの先に思いやりっていうか、

義娘の今までの人生を汲んでやりたい、そんな気持ちも出てくる。

大変だったろうな、とも思うし、辛い時間が多かったのかもしれない。

そんな性格ひねくれるか?って思うほど、出会った最初はやさくれていたし、今それを取り扱えるように頑張ってる。

僕は嫌な感じだなって義娘の言動から感じてしまいがちだったし、それは本当僕にとっても大きな課題だったんだけど、

アニキを投影している自分を省みて、その上でどうあるか、

僕は僕を乗り越えないといけないところにきている。

今日はその足がかりができたような気がしている。

義娘が楽しんでいる姿を見て、本当のありたい姿ってあるんだろうなって思ったりしていた。

そんなことを昨日今日と実はずーっと考えていた。

まだこれからまた見つめていかないと。

僕の心をまずね。

僕は家族構成まで「ちょっと不便」(笑)

ちょっとっていうか、超不便だよ。

なんでアニキと同じ性質の義娘を僕に出逢わせるんだよ。

もう神様勘弁してよ。

でもそれが僕に必要ってことだよね。

それも全部わかってます。

向き合いますよ。はい。

文句も言い訳も控えます。

観念して、自分の念を観ます。

馬場さんの言葉が時々思い出される。

省みること。

本当大変だし、辛いかもしれないけど、少しずつやっていきましょう。

今日はこんな生でリアルな我が家の話でした。

では、また。