見出し画像

メシア 【2】

読んでいただき、ありがとうございます。感謝です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう昼間になるみたいだ。ついさっきまでは、あの遠くの山と空の間とが、なんだか紺色とどす黒さと茜色が混ざったような顔をしていたのを起きたばかりの寝ぼけた頭で見ていたはずだったのに。隣には、僕の左手を舐めて舐めて、時々甘噛みをしてくる仔牛がいる。真横にいる。ただし、真横に入る獣が、それのみではなく、目を前方周辺に向けるだけで、視界に多くの巨体が見える。今日は朝4時に起きてから、山に登り、放牧をしているお爺さんの手伝いをしに来ている。もちろん、お金をもらえるし、お爺さんと僕に血の関係はない。数日前に、お爺さんが牧草地の間と間にある水路に落ちて、足を痛めてしまったと役場の人から聞いていたので、わざわざ立ったままでお金儲けができる仕事をやめて、この澄み切った牧場に来てしまっているということだ。もちろん、初心者だ。しかし、初心者とはいえ、数多くのちょっとした「お手伝い」をこなしている熟練者でもある。僕は、普通の村人ではない、と自負している。そのため、普通の村人が手伝わないことを電光石火の如く、引き受けるスキルをいつからか身に着けてしまっているということだ。得かどうかは謎である。

足元にはところどころ糞があるが、やはり、踏むことがないように細心の注意を払っている。もし、踏んでしまうと、数日後の仕事の際に、残り香というものを他の人に感づかれてしまう。それは、初心者である熟練者のイメージを著しく崩すことになりかねない。空を見上げる。雲がない青空。清々しい風。ほのかな獣臭。気を取り直して、視界の中で、これは300メートルぐらい右方向の奥にある藁の束を目掛けて、無我夢中に走り出す。あとから、牧場で買っている犬に左足を甘噛みされる。転ぶ。トラップにかかる。夏草がそよそよとなびく。

村に帰ってきて、すぐに、公衆の川に水浴びしにいく。散々であった。しかし、また明日もある。今日の続きがある。この午後4時ぐらいからは、村はずれの家の屋根修理にいかないといけない。顔に水をかけ、両手でごしごしと洗う。神経質に洗う。川岸に生えている、よく分からない草を使って顔をこすり、また水で洗う。だいぶましになってきたかな。向こう岸のこどもたち2人が、怪訝そうな顔をして僕をみて、駆けながら視界から消えていった。溜息が出た。

トムさんの家は藁ぶきだ。金持ちの家では高級な材木を使っているが、多くの村人は藁ぶきがポピュラーであり、よく藁を支える木が壊れたり、藁を動物がかじって穴が空いたりしているようだ。手で探ってみる。見当たらない。「もう少し左手側だと思うぞ。そこのところから、このまえ雨の水がぽたぽたと落ちてきたんだ」下から、まだ若々しさが残るトムさんの声が聞こえる。触る。屋根がその部分だけ沈んだ。目を近づける。材木とハンマーとくぎを側から拾い上げて狙いを定める。僕は熟練者。大抵はできる。ハンマーで人叩きして、木のきしむ音がした。今いる場所、数センチ地上に吸い寄せられた気がした。神様がいることを心に強く強く念じた。僕は熟練者。次に目を開いたときには、台所のテーブルの上に不思議な体勢で、空を見上げていた。トムさん、今日の夕食は、僕を食べてください。笑みがこぼれた。体の節々は、やはり軋んだ。

【2部 了】





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?