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反日デモ・現在の学生運動の実態

かつて日本では1960年の安保闘争や1968年の全共闘運動大学紛争のような学生による暴動やデモが盛んだった。
様々な派閥が反戦などを唱えそれぞれのゲバヘルを被り、手に手にゲバ棒や火炎瓶を持ち機動隊と争い時には死者が出る事もあった。

しかし現在はほとんど下火となり学生運動は過去の物になりつつある。

原因としては社会が豊かになったことでの政治離れや凄惨な内ゲバなど過激な運動への忌避などがあげられ、さらに社会主義国の実態認知やソ連の崩壊、多数派学生からの学生運動家への嫌悪などにより衰退に向かっていった。
2022年現在にはほとんど下火となっている。


しかし今年の2022年8月、期せずして私は安保闘争の亡霊とも言うべき学生運動を激写する事となった………

私はその日、別の取材で世田谷区の下北沢を訪れていた。
夏真っ盛りで非常に暑く、アスファルトからは熱気が漂い、視界がゆらゆらと揺らめく………
額から汗をしたたり落たせながら私は取引先へと歩を進めていた。

すると遠くから大勢の人達の声が聞こえてきた。何やら叫んでいるようだ。
私は熱気でのぼせていた事もありボンヤリしながらふと声の聞こえる方へと向かった。


やがて聞こえてきたのは



『田所浩二!!!!!!!!!
出てこい!!!!!!!!!
強姦を賛美するヘイト記念日である野獣の日を今すぐ廃止せよ!!!!!!!!!!
上級国民田所浩二の金にモノを言わせるような言論の弾圧を許すな!!!!!
野獣邸を破壊しろ!!!!!!!』

私は面食らった。


その息の揃ったシュプレヒコールは、かつて私が取材した東大闘争の現場を記憶の彼方から引き摺り出す程に鮮烈だったのだ。

「私は、1968年に戻ったのか………?」

暑さで朦朧としていた私はたしかそう呟いた。
私は無意識にカメラを構えそれを撮影した。
なぜ撮影したか、と質問するのは無粋だ。
それを「撮らなければならない」と思ったからなのだから。

当時の学生のような髪型の少年達
皆、当時の学生達のように心にそれぞれの志を持っているのだろう。
夢と若さに満ち溢れたつぶらな瞳を輝かせ精悍な顔を怒りに歪め野獣邸へと向ける。


私はこの少年達の集団について先頭に立って声を上げていたリーダー格の人物へと話を聞いた。

リーダー格の少年、赤井田佑真くん。

赤井田佑真くんは私が記者だと知ると喜んでインタビューに応じてくれた。
以下はそのインタビューである。


私「なぜあなた方はこの家の前でデモを?」


赤井田くん「それを話すにはまず、ある悲しい事件について語る必要があります。」


赤井田くんは目に涙を浮かべ私にその事件の事を話してくれた。


【「遠野のどか」さん強姦バラバラ殺人事件】


1893年8月10日、この閑静な住宅街で事件は起こった。
被害者は犯人の後輩である「遠野 のどか」さん。
犯人は白昼堂々と遠野さんを家に連れ込み、茶に睡眠薬を混ぜて昏睡させてから地下室に監禁。
抵抗出来ない遠野さんを何度も無理矢理にレ◯プし、やがて目が覚めた遠野さんが状況を理解し逃げようとした所を後ろから殴りつけ繰り返し顔面を殴打。
そして遠野さんを縛り付けて再び強姦し、最後は遠野さんを殺害した。
遺体は810個の肉片に切断されておりバラバラにされ地下室のブルーシート上に放置してあった。
その上からは複数回にわたって犯人の精液がかけられておりバラバラにした後にかけられた物である事が分かった。
これだけでも犯人の異常性が窺える。
また犯人の田所浩二は取り調べの際、意味不明な事や錯乱したような発言を複数回供述していた。

田所浩二 事件当時24

【田所の取り調べの際の発言例】

担当官「なぜ君は遠野さんを殺害した?」

田所「ま、多少はね?コロシなんて他の奴もやってんだからさ」

担当官「では…なぜバラバラに?」

田所「は?つかオッサン知ってる?死体って時間経つとすげぇ白くなるんだぜ?色なんてはっきり分かんだね。こ↑こ↓の鑑識サンとかケンシカン…だっけ?遠野の死体見るっしょ?おもしれ〜からしっかり見とけよ見とけよ〜(ここで田所は大声で笑う) しっかし810個にも切断するのはぬああああん疲れたもおおおおおおん……遠野のヤツ頭に来ますよ〜アイツ抵抗しやがってさぁ…(田所はしかめ面をする)」

担当官「ではなぜ遺体に精液を?」

田所「あんたも分かるでしょ?溜まっちゃってさぁ~(ここで再び田所は笑う)」

下北沢新聞:8月号
見出し:『昏睡レ◯プ!!!被害者の尊厳も命をも無残に奪った容疑者』
より引用。


田所浩二は精神鑑定の結果、「心身に異常をきたしており責任能力を著しく損失している」として刑務所行きを免れ下北沢精神病院で5年間の監察処分となった。

そして田所浩二は当時の総理、田所皇斗の実の甥である。田所浩二の事件は永田町が警察に圧力をかけたと言われ当時そのテの世界のマスコミを賑わせた
日本の大手新聞社やラジオ局、放送局には報道規制が敷かれた。
それは当時としてはあまりにも異例であった。
1893年から5年後の1988年に田所は退院しこの下北沢の別荘、通称野獣邸へと移り住んだ。

話が終わると赤井田くんは怒りに顔を歪めた。

赤井田「遠野のどかは僕の母なんです」

赤井田君はここでポロポロと涙をこぼした。

なんでも赤井田という今の苗字は引き取ってくれた叔母夫婦の苗字でありかつては「遠野佑真」という名前だったそうだ。
若い頃にゆきずりの男性と性行為をして生まれた子供である祐真くんを、遠野さんは女手一つで水商売でも必死に稼ぎながら佑真くんを育ててくれたそうだ。
佑真くんはその日いつも通り母が帰ってくると信じていつも通り母を待っていたがそのまま疲れて寝てしまった。次の日も母が当たり前に居ると信じて。
しかし翌日チャイムが鳴り出迎えるとそこに居たのは母ではなく2人の刑事だったのだ。
佑真くんは母の死をきっかけに心が壊れてしまった。
長く悩んでいる時遠野さん強姦事件を追うこの団体を知り、そこに入りリーダー格にまで上り詰めたという。

現在は当時反田所総理派でヘリントン航空893便をハイジャックしたステート航空機ハイジャック事件(ステハゲ事件)を起こし公安からマークされている「反政府ゲリラ灰汁椎怒軍」も参加しており
※灰汁椎怒軍に関しては後年の小説、『Aの研究』を読んで頂くとより深く理解出来る。
そして「反田所連合(反淫連)」「遠野さん事件を風化させない会(遠事)」がこの座り込みに参加しているという。

しかし他の団体も別件である田所総理の癒着が原因で訪れていた。
その団体というのはかつて連日報道を賑わせた「武装革命主義反田所ミュラー派(革ミュラ派)」と「革命的反淫夢主義者同盟全国委員会(所核派)」
これらは常に内ゲバが耐えない反田所政権体制の過激派組織とも言える危険な団体だ。

実際に付近の公園で内ゲバも起きていた。

革ミュラ派による所核派の隊員への激しいリンチの様子
倒れて動かなくなる所核派の隊員。


飽きた
続きはそのうち書く

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