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第15回④ 田澤 雄基先生 臨床・研究・事業を一気通貫。挑戦恐れぬ医師の真意とは

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

医師、経営者、そして研究者。33歳という若さにして多様な肩書きをもつ田澤雄基先生。「最期の1秒まで健康で文化的に暮らせる社会」を目指して、さまざまな方面から予防医療に取り組む、その思いについて伺った。

田澤 雄基先生
2014年慶應義塾大学医学部卒。医学部生時代に医療IT系ベンチャーを起業し、後に売却。卒後は研修医を経て慶應義塾大学医学部精神・神経科に入局。人工知能やIoTを活用した精神疾患の定量的診断研究およびその事業化を行っている。2020年より同大学の産学連携を担当し、企業との大型共同研究支援や大学発ベンチャーの育成に従事。大学外では豊洲および市ヶ谷で夜18~22時に診療するMIZENクリニックを開業し、働く人のための夜間診療および産業医活動を行う。

人生の最期まで元気に生きられる、
当たり前の社会を作りたい

 「人生の最期の1秒まで健康で文化的に生きられることが当たり前の社会を作りたい。そのために予防医療をやっています。」

 インタビューの冒頭、田澤先生は自身のビジョンについてこう語った。東京都心部・豊洲と市ヶ谷にMIZENクリニックを開業し、働く人のための夜間診療や産業医活動を行う。また、医療系ベンチャーの創業者であり、さらには慶應義塾大学での研究者としての顔も持つ。

 予防医療を行う中で、臨床現場で患者さんを目の前にして、答えられない疑問からクリニカル・クエスチョンが生まれる。それを解くために、研究が必要である。さらに、研究成果を臨床現場や人々の生活の中に届けるためには、治験や事業化というステップがある。

 「新しいことを進めるうえで、一気通貫で理解できるプレイヤーを目指しています。だからこそ、臨床・研究・事業など、方法は問わずに取り組んでいます。」

 自分が経験したことのないフェーズにおいては、専門家とコミュニケーションが取りづらくなってしまう。特に、田澤先生の取り組む予防医療やデジタルヘルスの分野では、医薬品開発などと比べて臨床と研究と事業の境目が曖昧な傾向にある。研究から現場まで、トータルでマネジメントできるようなキャリア形成を心がけているという。

「大きな目標」を見つけるためにすべきこと

 「臨床・研究・事業を三つすべてこなすのは大変ではないか」とよく質問を受けるという。実際は、三つの独立した活動をこなしているというイメージではなく、すべてが「人生の最期まで元気に生きることのできる社会をつくる」という一つの大きな目標にぶら下がってつながっているイメージだという。

 「臨床も研究も、目標を達成するための役割分担というイメージです。やりたいことに沿ってやっているので、異なるものを両立しているという感覚ではない」と話す。

 田澤先生は、どのように「上位の目標」を見つけたのだろうか。目標を見つけるための動き方は二つあるという。

 一つ目は、技術の変化を追うこと。例えば現在では、AIやブロックチェーンなどの新しい技術が普及しつつある。特に学生は世の中の変化に敏感で、それらの技術革新をもとにキャリアを考える人もいるが、「自分の場合は根が医療者なので、AIなどの技術だけを追っても人生のテーマにはならなかっただろう」と考える。

 二つ目は、医療現場を含めたさまざまな人々の暮らしを自分の目で実際に見ること。田澤先生自身、医学部生時代に見てきた高齢者の暮らしの光景が、現在のビジョンの形成に大きくかかわっているという。

地域医療の先進地・佐久郡での学び

 田澤先生の出身は栃木県益子町。「過疎地域の医療をなんとかしたい」という思いを胸に、地域医療に興味を持ち医学部に入学した。医学部生時代は、医事振興会と呼ばれる学生団体に所属し、さまざまな地域へ実際に足を運んだ。大学1年生の時に最初に訪れた長野県佐久地域にある川上村など、高齢者の割合が50%近い地方の現状を目の当たりにした。

 佐久を訪れた時に出会った、故・長純一先生の言葉が印象に残っているという。長先生は、高齢化率が高い地方の現状を“日本や世界の未来の姿”と語った。人口構成上、都市部もいずれ高齢化率が高まり、現在の過疎地域のような状況に近づき、健康医療の社会課題はより大きくなっていくだろう。

 「未来の医療に何が必要か考えるようになった」という田澤先生。「実際の地域で何が起こっているかを見たことは、とても参考になりました。医学部生の臨床のフィールドは、大学病院が中心。地域の医療を見る機会はあまりありません。」

 医療の発達に伴い、致死的な疾患の多くは治せるようになってきた。がんの生存率も、年々延びてきている。数十年前であれば命取りになった病気が治療可能になり、慢性疾患や障害として抱えながら生きる人が増えてきた。

 「病気で機能が落ちた後、どのように生活していくかが重要」と、田澤先生は考える。老化に伴って認知機能や身体機能が落ちていく晩年、どのようにQOLを保つか、という大きな課題感を抱くようになったという。

 「今でこそ、自分の抱く課題感を言語化できていますが、学生の時は、まだぼんやりと目で見て、肌で感じているだけでした。当時、意図せずに感じていたことが、とても大きかった」と振り返る。

医師3年目で都心に夜間診療所を開業

 医学部入学当初は「地元で救急や産婦人科などの急性期医療を担うことを意識していた」という田澤先生。地域医療への興味から、地域で不足傾向にある急性期医療に携わることを目指していたが、次第に課題意識が変わってきたという。

 「地域の課題も大切であるが、高齢化にまつわる地域の課題は、将来的には都市部の課題になる。またこのような課題の解決にデジタルの力が重要だとも考える中で、まずはデジタルと親和性の高い都市部で解決策を構築し、それを地方に展開するのが近道ではないか」と考えるようになった。

 都市部の若い世代への予防的診療を行うことこそが、最終的には人生の晩年のQOLを支える医療になると考え、2016年5月に、MIZENクリニックを開業した。オフィスの立ち並ぶ都心部で、夜18~22時、「働く人のための夜間診療」を提供する。

在学中にベンチャーを起業、そして売却。
「やってみないとわからない」に価値あり

 臨床のほか、慶應義塾大学医学部で産学連携を担当し、大学発スタートアップ創出にも取り組む。慶應医学部健康医療ベンチャー大賞の実行委員も務めてきた。そのきっかけは、医学部生時代の起業の経験があるという。

 2011年ごろ、IT系の企業でインターンをしていたことをきっかけに、情報技術革新に注目するようになった。2010年に「ビッグデータ」という言葉が登場して以来、その面白さに気づいたという。

 当時の記事では、例えばGoogle の検索結果の最適化や、車の走行距離のデータから新車購入のタイミングの予測などが行えるなどのビッグデータ活用事例が紹介されていた。

 これを医療分野で活用すれば、個人によってどのような人生の最期を送るか、ある程度早い段階で予測できたり、どのようにすればそれを改善できるか推察したりと、さまざまな可能性があると考えた。

 「ビッグデータという概念には大きな可能性があると感じました。その技術を人生の晩年における生活の質の改善に活かしたいと思ったのが起業のきっかけです」と田澤先生は話す。

 医学部生時代に、医療IT系のベンチャーを起業し、上場企業への売却も果たしている。医学部では、既知の知識を習得しリスクをできるだけ低減することが重視されるが、ベンチャーでは「誰もやったことがない、やってみないとわからないこと」に挑戦することに価値がある。

 「医学部時代の起業経験を通じて、全く異なる2つの文化を学ぶことができた」と当時を振り返る。医学部生の時の経験が、予防医療を軸にさまざまな事業を進める田澤先生の原動力になっているのかもしれない。

 世界の、そして日本の平均寿命は年々延びている。しかし、健康寿命の延長も同程度であり、平均寿命との差は直近20年で全く縮まっていない。

 「“健康寿命と平均寿命の差を少しでも縮めること”が自身のミッションであり、臨床だけでも、研究だけでも解決することはできません。自分ができることはなんでもやりたいと思っています。」

 田澤先生の挑戦は、これからも続いていくのだろう。

取材・文:伊庭 知里(慶應義塾大学医学部4年)

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