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第6回② 今西 洋介先生 「まさか今…」漫画『コウノドリ』が医師にもたらした転機

「医師100人カイギ」について

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「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

 今回登場いただくのは、Twitterなどでふらいと先生(@doctor_nw)として周産期・小児科関係の医療啓発をする新生児科医・今西洋介先生。活動にかける思いやきっかけとなった転機について伺った。

今西 洋介
一般社団法人チャイルドリテラシー協会代表理事。
石川県金沢市生まれ。2006年富山大学卒業後、りんくう総合医療センター、大阪母子医療センターにて、新生児科医・小児科医として勤務。現在、大阪大学公衆衛生学博士課程在籍。講談社モーニング連載コウノドリの漫画・ドラマの取材協力を務め、コウノドリ作中の新生児科医今橋貴之のモデルとなった。母親に関する疫学研究をしながら、SNSを駆使して医療啓発を行い、子どもの社会問題解決に取り組む。

医師になった原点「身体の弱さ」

 小さい頃は身体が弱く、地元の小児科クリニックを時間外に受診したこともあったという今西先生。そんなときでも、嫌な顔一つせず治療してくれた医師の姿に恩義を感じ、いつしか漠然とした医師への憧れを抱いていた。そして成長するにつれ「社会的弱者を守りたい」という想いが膨らみ、小児科医を目指すようになった。

 一方で学生時代はバスケ一筋であったため、整形外科を身近に感じる機会も多かったという。しかし「社会的な立場の弱い者たちを守れる人でありたい」という「医師を目指す心の根底」は揺らがなかった。この「思い」が、その後のキャリアに大きく影響していった。

入院時も「おめでとう」と言える
唯一の場所

 新生児科医・小児科医として活躍する今西先生。周産期医療の魅力を尋ねると、こう答えてくださった。

 「周産期医療は退院する時だけでなく、入院する時も『おめでとう』と言える唯一の場所です。もし亡くなってしまった赤ちゃんがいたとしても、お母さんのお腹に来てくれた、生まれてきてくれたことに対して祝福できます。」

 新生児の頃から診ている患者さんが8、9歳にもなると、もはや我が子のように感じ、両親から「今西先生は第3の親です」という声をもらうこともある。家族が出産を経て「家族」となっていく出発点に伴走することができる新生児科医は、とても魅力がある仕事だという。

 一方で新生児集中治療室(NICU)の現場は、生と死を扱うだけでなく、急性期医療から慢性期医療まで存在し、過酷な面も沢山ある。1つの判断ミスが大きく影響し、子どもがなくなることもありうる環境に堪えて、辞めたくなるときももちろんある。しかし医師が「人生の伴走者」として活躍でき、「あの時助けてもらった」という感謝が続く現場が医者冥利に尽き、この仕事を続ける理由になっている。

「コウノドリ」がもたらした転機

 そんな今西先生が、「発信者」になるきっかけは、やはり漫画「コウノドリ」だった。
 医師となり、最初は千葉県で仲の良い先輩と2年間の初期研修医生活を送った。その後、地元の石川県に戻り、NICUにて勤務。主治医制度だったこともあり、72時間勤務もざらな生活で、かなり大変だったという。

 数年働く中で、大きな病院で新生児医療に携わりたい、生活を見直していきたいという想いを抱き、大阪大学小児科に入局。その後、運命の出会いとなるりんくう総合医療センター・大阪母子医療センターで働くことになる。

 そこで産婦人科医の荻田和秀先生と出会い、その患者である鈴ノ木ユウ氏が描く漫画の取材協力を引き受けるようになった。これがのちに大ヒットし、周産期医療を世間に広めることとなる「コウノドリ」だ。特にNICUをテーマに描いた第7巻では「今橋先生」としてモデルとなり、話題にもなった、しかし、当初はどれほどの影響があるかは想像していなかったという。

 当時、医師10年目だった今西先生。世間の大きな反響を目の当たりにし、「コウノドリ」から刺激を受ける中で、自身も新生児科医として周産期医療を世間に広めたいという気持ちが強まっていた。「もしこの出会いがなければ、医療啓発には挑んでいなかったかもしれない」と当時を振り返る。

 実際に、新生児医療を発信する人は多くないのが現状だ。赤ちゃんの遺棄事件などはニュースになるものの、新生児科医として問題をその背景まで見ていくと、母親だけに悪い原因があるわけではなく、母親自身の成育歴などにもさまざまな因子があると今西先生は指摘する。このようなバックグラウンドまで診てきた医師だからこそ、赤ちゃんを救い、母親を責めるだけの医師にはなりたくないと強く語る。

 「医療啓発を心に決めてからは、新生児科医だからといってNICUにいるだけではダメだと思いました。そこで、日頃から医療だけにこだわらずさまざまな分野の社会問題をインプットしてみて、院外含め多くの人と対話するようにしていったんです。」

 活動を重ねるうちに、新生児医療・周産期医療を社会問題として一緒に対話してくれる人が増え、今に至ったと振り返る。医療インフルエンサーになりたいというわけではなく、自分と共感してくれる仲間をどんどん増やしていきたい、それが今西先生の発信の「想い」なのだろう。

社会問題に立ち向かうため、味方を増やす

 「社会的な立場の弱い者たちを守れる人でありたい」という「医師を目指す心の根底」から、「今後は発信のみならず、社会問題の解決のために活動を広げていきたい」と今西先生は語る。

 例えば以前の周産期医療の現場では、制度が整っておらず「赤ちゃんを亡くした親」のケアなどが行き届いていなかった。

 このような問題を解決すべく、現在、公衆衛生面からエビデンスに基づいた周産期医療の問題解決を学ぼうと、大阪大学大学院社会医学講座環境医学(旧公衆衛生学)博士課程に在籍している。さらに多くの人へ良い医療を提供すべく、今後は医療政策についても学びたいという。

 目の前の赤ちゃんや親のみならず、社会問題を解決しようとする中で心掛けていることを聞いてみた。

 「何か問題を解決しようとする際に、いろいろ喧嘩しながら進もうとすると遠回りになりがち。偏ることなく、幅広い人たちと付き合う中で、バランスを取りながら、『敵を作らない、もはや敵すらもなんとか仲間に巻き込んでいくこと』を大事にし、助けを求められたら返すようにすることです。」

 医師としてのみならず、社会問題の解決へと向かって動く中で、人との縁を大事にし、仲間を増やし、さらにその仲間が人脈を広げ、その先で、仕事も私生活も含めさまざまな良い影響が生まれるという良い循環を形成している。

「全く想像していなかった」
キャリアを振り返って

 幅広い活動をしている今西先生だが、医師になった当初、こうなることは全く想像していなかったという。

 「出会った人から愚直に学び、その人とのつながりを重視した結果、10年たったらやりたいことはだいぶ変わってしまいました。豊島勝昭先生、和田和子先生、荻田和秀先生、宋美玄先生を始め、さまざまな縁が自分を形作ってきた。やはり“人”が重要です。」

 そんな自分を振り返り、後輩に対し、今後について次のようにメッセージを残してくださった。

 「今後の医療者にとって、医療をしているだけですむ時代ではなくなっていくと思います。もちろん医療に特化した人も必要ですが、色んな方面の人と対話をしていくことができる人や社会と対話できる人も必要になると思います。

 だからこそ、まずは“医療者”であることが必要でしょう。専門性がなければ他職種と対等に話せなくなります。医療者として、医学を、医療を修めることが絶対事項であることは間違いない。そうすることで、きっと将来は爆発的に面白くなります。

 そして人とのコミュニケーションは互いにリスペクトする気持ちが通うことで成り立ち、その関係性を大事にすることで、共通認識が形成されていくと思います。これは医療者の仲だけではなく、さまざまな叶えたいものの実現可能性を高めてくれると思います。」

 「新生児科医」という専門性を活かしつつ、その枠にとらわれない活動を展開する今西先生。多くの人に向けて伝えるメッセージの根底には、「目の前の人を大事にする」という想いが貫かれていた。

取材・文:東京慈恵会医科大学5年 荒井 秀真

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