第5回① 伊藤 玲哉先生 「人生最後の願い」叶える「旅行医」。実現のため始めたのは
外出が困難な患者に旅行を提供しようと会社を設立した医師がいる。トラベルドクター代表取締役の伊藤玲哉先生だ。勤務医時代に始めた「旅行医」とはどういったものなのか。活動に至る思いや、ターニングポイントとなった経験についてうかがった。
「年間100万人が最期に見る光景」に疑問
羽田空港近くの小さなクリニックの4代目として育った伊藤先生。父親が地域医療に貢献する姿を見て、「地域を守る医師」として活動したいと思っていたという。昭和大学医学部を卒業後、総合診療を学ぶために京都にある洛和会音羽病院で初期研修を行った。
しかし医療現場で思ったのは、「自分のやりたかった医療とは?」という思いだった。病院ではドラマみたいに「生きたい」と言われることより、「早く死にたい」と言われることが多かったという。
伊藤先生は「病室の天井」の写真を私たちに見せてこう語る。
「これが、年間100万人が最期に見ている光景です。これでいいんでしょうか?」
医療・長寿大国の日本なのに、「長く生きること」に喜びがない。人は必ず死ぬ。治せない病気がある。そんな矛盾と戦い続ける日々に、「自分のために医療をしているのか、患者のために医療をしているのか分からなくなった」という。
「治せない病気があるなら、その方に自分が医師としてできることはなんだろうか?」という問いに悩むなか、一人の患者との出会いが転機となった。
いつもの診察をする中で、ふと患者に「先生、旅行がしたい」と言われた伊藤先生。
「行きたいんですか?」と聞き返すと、患者は真っすぐ目を見て、「行きたい」と返した。
「私には、これが『生きたい』という渇望にも聞こえたのです。目の前の患者にできることは、治せないと分かりながら戦うことではなく、純粋にその願いを叶えることではないでしょうか。」
伊藤先生は、この「最後の願い」を叶えるべく、旅行会社やいろいろな医療者に相談した。
しかし、その願いは叶えられないまま、患者さんは病室で最期を迎えた。
毎週末のボランティア活動も、
教授からは「自己満足」と
この出来事をきっかけに、「旅行を叶えられる医師」=「旅行医」になるという決意を固めた。当時総合診療科の研修をしていたが、「自分の担当患者が常に複数いる内科・総合診療科では、誰かの旅行についていくなどという無責任なことはできない」と考え、直接患者を担当することの少ない麻酔科への転向を決めた。
そして麻酔科は「全身管理」や「痛みを取る」ことのプロ。旅行中の緊急事態にも対応できる。まさに「旅行医」に最適な診療科だった。2年間、母校の昭和大学で麻酔科の研修を行いつつ、介護士の勉強をしたり、写真を学んだりと、「旅行医」に向けた準備を行った。
そして現在、「トラベルドクター株式会社」の代表として、この「旅行医」の実現に向け進んでいる。
実は当初、会社ではなく、ボランティアとして「旅行医」をやろうとしていた。平日は麻酔科医として働き、土日に旅行医をするスタイルであれば、ボランティアでもすることは可能であり、患者にも負担はかからない。
しかしこのビジョンを母校の麻酔科教授に伝えたところ、「ボランティアだけでは自己満足ではないのか?」と言われた。年間の土日をすべて使っても1年で旅行できるのは50人。50年ずっと旅行医をやっても、2500人しか旅行をさせられない。
しかし日本では1日4000人が亡くなり、高齢化の現代、年々これは増加している。伊藤先生が一生をかけても、ボランティアではほとんどの方の夢を叶えられないことを指摘したこの教授。実はシカゴ大学MBAを修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニーの経営コンサルタントを務めたこともある、大嶽浩司教授(当時)だった。
患者の思い出の多くは
自宅の外の世界にある
「仕組み化」しなければ、この活動は広まらず、続かない。大嶽教授に気付かされたことを機に、「『ビジネス』という観点から『旅行医』を実現する」というミッションを定め、自身もMBAに通い、「旅行医」を「起業」で実現することにした。
現在では旅行専用の福祉車両「トラベルドクターカー」を導入し、より多くの方に旅行を届けるべく、クラウドファンディングを終え、1,118万円の支援を集めた。
「ビジネス」という視点を入れたことにより、叶えたい範囲や視野が変わったと語る伊藤先生。「自分がボランティアでする」から「ビジネスとして世に広める」になり、今は全国への展開を進めている。
そして、その目の先には「世界」がある。日本から海外に行きたい人も、海外から日本に来たい人もいる。さらに日本は、世界でもトップレベルの高齢化が進む国。日本での新たな「医療×旅行」のモデルは、世界にも通ずるものと伊藤先生は考えている。
伊藤先生は、「旅行」を「病院や家ではない場所で行う、すべての体験」と定義する。
現在、約8割の人が病院で最期を迎えている。そして「住み慣れた自宅で最期を迎える人を増やす」という国の方針もあり、在宅医療機能の強化が行われている。
しかし、世界の中で「病院(や施設)」と「自宅」はほんのわずかな場所。私たちは人生の多くの場所を、自宅や病院以外で過ごしており、多くの思い出がいろいろな場所にある。
「温泉に入りたい」「お墓参りに行きたい」「結婚式に参加したい」「故郷に行きたい」「あの料理をもう一度食べたい」。……さまざまな人の願いを一言にまとめたのが、「非日常」としての「旅行」である。
若い人にとっては、気になるレストランに行くのは「日常」の一コマだろう。しかし動作の多くが難しくなった最期が近い人にとって、もはやこれは「叶えられない日常」。「旅行」というと「遠出を伴うもの」というイメージだが、そうでないところにもさまざまな要望がある。
幼少期に母を亡くした医師からの言葉
「今を生きて」
そんな伊藤先生が、多くの人々に伝えたいメッセージとして選んだ言葉は、「今を生きてほしい」だった。
延命治療、尊厳死、ACP、緩和ケアなど、終末期に関連した話題は複数あるが、全て大事と思いながらも話さない現状がある。これに対し、「『死に方を考えようとさせる』からうまくいかない。『生き方』を考える、『最期までどう生きたいか』を考えるのが大事」と語る。
5歳で母を亡くした伊藤先生。「人は死んだら帰ってこない」ことを幼心に理解していたからこそ、「いつかやろう、ではなく今をどう生きよう」と考えているという。「旅行」というテーマに出会い、すぐに行動したのもこのスピリットがあったからこそである。
「やりたいことがあるなら、今やりませんか?」
患者への、医療者への、そして多くの人へのメッセージである。
取材・文:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大
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