見出し画像

第11回④ 宮地 貴士先生 医学生がザンビアに診療所建設。若き医師を支える価値観とは

「医師100人カイギ」について

【毎月第2土曜日 20時~開催中!】(一部第3土曜日に開催)
「様々な場所で活動する、医師の『想い』を伝える」をテーマに、医師100人のトーク・ディスカッションを通じ、「これからの医師キャリア」を考える継続イベント。
本連載では登壇者の「想い」「活動」を、医学生などがインタビューし、伝えていきます。是非イベントの参加もお待ちしております!
申込みはこちら:https://100ninkaigi.com/area/doctor

発起人:やまと診療所武蔵小杉 木村一貴
記事編集責任者:産業医/産婦人科医/医療ライター 平野翔大

 医学生ながらザンビア共和国のへき地に診療所を建設するという一大プロジェクト「ザンビア・ブリッジ企画」を統括し、成功を収めた宮地貴士先生。

 彼の価値観を支えるのは「人・本・旅」だという。

 これは、現在立命館アジア太平洋大学の学長を務めている出口治明氏の言葉で、宮地先生が最も共感する言葉の1つだ。

 宮地先生は中でも「旅」の効用を身に染みて感じており、新しい人や価値観との出会いを求め、今でも世界中を飛び回っているという。これらのキーワードを通して、宮地先生の素顔に迫ってみたい。

宮地 貴士先生
東京都北区出身、私立順天高校卒。秋田大学医学部在学中の2017年にザンビア共和国の無医村に診療所を建設するプロジェクト「ザンビア・ブリッジ企画」を立ち上げる。現地での支援活動に集中するため、2019年に大学を休学。2022年4月よりJA秋田厚生連平鹿総合病院で初期研修医。

国境なき医師団への憧れ

 中学2年生の春。なんとなくテレビを見ていると、そこには東日本大震災の被災地で活躍する医師の姿が映っていた。

 「かっこいい」

 一目惚れだった。人の役に立ちたいという思いから教師を目指していた宮地先生だったが、その時をきっかけとして医師を志すようになったという。これが国境なき医師団との出会いだった。

 「彼らみたいに、国境を越えてたくさんの人を助けたい」

 国境なき医師団への強い憧れを胸に、宮地先生は野球部のハードな練習をこなしながら勉強し、秋田大学医学部に進学する。

大学生活を変えた
国際医学生連盟との出会い

 高校まで野球に打ち込んでいたこともあり、入学後は先輩や友達とサークル活動に勤しむなど、純粋に大学生活を楽しんでいた。

 「どうやってコスパ良く国家試験に合格し、医師免許を取ろうか」

 そんなことを考えながら過ごしていたという宮地先生。だが、その反面、周りと同じように過ごすことへの違和感も抱えていた。

 「将来について真面目に話せる環境がない」

 国境なき医師団という明確な目標と、強い海外志向を持っていた宮地先生は、将来や自分のやりたいことについて腹を割って話せないことに、言いようもない焦りを抱いていたのである。

 そんな時に出会ったのが国際医学生連盟(IFMSA)の説明会で出会った「ジョンさん」だ。説明会の後にジョンさんに連れて行ってもらった食事の場で、大学入学後、初めて将来について真剣に話をすることができた。海外留学プログラムを立ち上げた経験もあるジョンさんは、宮地先生の思いに強く共感し、さまざまな助言をしてくれたのだ。

 宮地先生は、意気投合したジョンさんの誘いでIFMSAに仲間入りすることとなる。ここには、将来について熱く語り合える仲間がたくさんいた。

 宮地先生の学生生活を懸けることになる「ザンビア・ブリッジ企画(ザンブリ)」は、まさにここから始まることになる。

大学を休学してザンビアへ

 宮地先生は、IFMSAで出会った素敵な仲間たちとザンブリを立ち上げ、その代表となった。

 ザンブリとは、ザンビア共和国のマケニ村に診療所を建設することを目的に、IFMSAから独立する形でできたプロジェクトだ。宮地先生は同志を募り、診療所建設と、建設費用を確保するための日本でのクラウドファンディングに挑んだ。

 人を巻き込むコツを、宮地先生はこう語る。

 「とにかく行動することですね。自分が行動で示すことで覚悟が伝われば、共感してついてきてくれる人が必ず出てきます」

 現地の視察を終えて帰国すると、日本国内での支援活動をスタートさせた。クラウドファンディングにも成功し、プロジェクトは順調に進んでいた。

 しかし、危機は突然訪れる。現地住民にも頼んでいた資金調達や建設作業が全く進んでいないことが発覚したのである。

 当時の宮地先生は、発展途上国で他国からの支援が集まりやすいという背景から「ザンビアはきっと、支援慣れしているから非協力的なのだろう」と憤りを覚えた。現地の進捗が生まれていない理由が全く理解できないでいたのだ。

 八方塞がりでプロジェクトの成功が危ぶまれる中、宮地先生に2つ目の「奇跡的な出会い」が訪れる。それが医療ガバナンス研究所理事長の上昌広先生との出会いだ。

 上先生は当時の宮地先生に「現地の誰と活動しているの」と尋ね、視野が狭くなっていることを諭してくれた。宮地先生はこの一言により、現地の人の生活や価値観について全く知らなかったことを痛感した。問題だったのは自分だったと強く反省することになる。

 こうして宮地先生は1年間の休学を決断した。現地に滞在し、現地の人との対話を通じて、理解を深めながらプロジェクトを進めることにした。

 宮地先生は時間をかけて、少しずつ信頼関係を築いていった。それからも地道な努力を続け、ザンビアのマケニ村に診療所を建設することができた。

 まさに上先生という「人」との出会い、そして現地の人との交流という「旅」が、大きな試練を乗り越える鍵となったのだ。

 ただし、どんな人でも良いわけではない。宮地先生は、大事にしたい「人」についてこう語っている。

 「人間性を否定することなく、間違いを論理的に指摘してくれる存在は貴重であり、大切にしていきたいですね」

迷った時に思い出してほしい
「人・本・旅」

 医学部に入ったものの、馴染めなかったり、違和感を抱えたりしている医学生は少なくないだろう。しかし、違和感を解消するため実際に行動へと移せる人は、そう多くはないのではないか。

 そんな医学生たちに向けて、宮地先生は次のようなメッセージを送る。

 「違和感があることはいいことだと思います。違和感を抱えたときこそ『人・本・旅』という言葉を思い出してください。良き本を読み、良き人に出会い、旅に出る。こうして得られた経験が、きっと何か道を指し示してくれるはずです。」

 もちろん、違和感がないのであればこのまま真っ直ぐに進むのも1つの選択肢。違和感を持っていないことを悪く思う必要は全くない。

 「患者さんと真摯に向き合うことこそが、医師として十分に責任を果たすことだと思うのです。」

 医師になることは目標ではなく手段だという思いがどこかにある、と語る宮地先生。その手段が、臨床なのか、国際貢献活動なのかの違いに過ぎない。

 ただし、医療に携わる者として、1つだけ覚えておかなければいけないことがあると宮地先生は強調する。それは、「目の前の患者さんを助ける」という前提を忘れないこと。

 時代が変わっても、立場が変わっても、患者さんの訴えに基づいて行動をしていく義務が、医療者にはある。そして、良き人に出会い、良き本を読み、旅に出ることは、患者さんへの理解を深めることにきっと役に立つ、と締めくくられた。

 迷った時はこの言葉を思い出そう。
 人・本・旅。

取材・文:京都大学医学部4年 水田 哲成

本記事は、「m3.comの新コンテンツ、医療従事者の経験・スキルをシェアするメンバーズメディア」にて連載の記事を転載しております。 医療職の方は、こちらからも是非ご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?