第14回【対談】失敗はネタにしろ!苦難を面白く乗り越える医師たち
今回は、講演会「医師100人カイギ」当日のパネルディスカッションの様子を、総合司会を務めた私・平野がお届け。幾多の苦難を経験してこられた先生方に、ハードシングスとその乗り越え方について伺います。
■山本雄士先生(株式会社ミナケア)
■利根川尚也先生(沖縄県立南部医療センター・こども医療センター)
■平野井啓一先生(株式会社メディカル・マジック・ジャパン)
■筧みなみ先生(南生協病院 臨床研修医)
■大谷隼一先生(株式会社クオトミー)
※以下、敬称略
「しんどい」をネタにできるか
平野:今回は「ハードシングスとその乗り越え方」がテーマです。本日ご登壇いただいた皆さんは、さまざまなご苦労があって現在のご活躍があるのかと思います。そこで、ご自身にとっての一番のハードシングスはなんだったのか、またそれをどう乗り越えたのか、皆さんにお聞きしたいと思います。
筧:私は、ハードシングスがなんだったかを語れるほど人生経験があるわけではなく、何かあったら「おもしろっ!」って思うようにしています。「すごっ!めっちゃおもろいことが起きてしまった」みたいな気持ちでやっています。
平野:なるほど。いろいろ大変なことがあったときに、面白いと思うのか、しんどいという気持ちが強いのか、人によって異なるのかもしれません。皆さん、いかがでしょうか。
平野井:ネタになるという考え方はすごく大事だと思いますね。しんどさをしんどさのまま受け止めてしまうとストレスにしかならないですが、そのことを「後で誰かにネタとして話せるな。ネタが一つまた増えたな」と思うと、しんどいことも面白く感じられるかなと僕は捉えています。
平野:大変だったことも、後から自分のものにして正解にするという考え方ですね。
「それでもやりたいか」を自分に問う
平野:利根川先生は、なかなか認知が広まっていない、「小児総合診療科」という分野に挑まれていらっしゃいます。いろいろとご苦労もあるのではないでしょうか。
利根川:一番きつかったのは、米国臨床留学ですね。米国臨床留学は、そこに来ている皆さん、例えば英語が話せるというバックグラウンドがあるわけですが、自分はそれが全くありませんでした。医師5年目でもあり、「USMLEというのがあるのか」という状態から始めたわけです。
非常にハードでした。3、4年間、毎日毎日「なぜこれをやっているのか」という自問自答をずっとしていました。漠然としたアメリカへの憧れなんてすぐになくなり、子どもの未来のための手段で米国へ来ているという考えが残されて、でも「20年かそこらで叶うのか」とか、やっぱり自問自答を繰り返す日々でした。
結局、「いやそれでもやりたいことなんだ」と思えたことが重要かなと思うんです。僕は、また進もうというモチベーションを持てたのは、そこを乗り越えて形を変えられたから。だから、「なんでするの」という問いを明確にすることではないかと思います。
平野:なるほど。自分で選んだハードワークスであるなら、自分で答えを出していくということですね。
ハードシングスだらけの人生
「かかってこい」というスタンス
平野:続いて、日本人医師初のハーバードMBA、そして起業など、結構すさまじい道を選んでこられた山本先生はどうでしょうか。
山本:僕は生まれ育ちが札幌なのですが、東大医学部予備校のようなものもなく、粛々と一人で受験勉強をしていました。東京に出たら人は多いし、皆遊び慣れているような雰囲気で、驚くわけです。Harvard Business Schoolに行った時も、周りから「なんかかわいそうな日本人の医者が来た。絶対あいつキックアウトさせられる」みたいなことを言われて、ある意味ずっとマイノリティ側にいるようなキャリアなんです。
家もあまり裕福ではありませんでした。父は歯科医だったのですが、僕が幼稚園ぐらいの時にベーチェット病になって失明してしまったんです。いきなり家業がなくなってしまって、子ども3人、全員公立学校に行かなければ大変だという状況で、いまだにあのとき家の収入がどうなっていたのかわかりません。
大学に行っても、お金がないので家庭教師のアルバイトをするわけですが、友だちがいなかったのでバイトの紹介もなく、たどり着いたのが青少年厚生施設での家庭教師です。家庭に問題のある子が多かったので、家庭教師として行っているのに、その子の親がいなくなってしまったから、僕がチャーハンを作ってあげたこともあります。
平野:その頃から、ある意味で「立場に求められる役割」以外にまで踏み込んでいろいろされていたんですね。
山本:僕は2011年2月21日にミナケアを創業したのですが、お金を出すと言っていた人から裏切られるところからのスタートで、その後最初に契約を取れたのが実は東京電力さんなんですね。3月に地震がありまして、揺れながら仕事をして「この契約、なくなるんじゃないか」と思っていました。
創業して十数年になり、社員も40人ぐらいになりますが、人の問題ほど頭の痛いことはないです。一般の人たちは、病院で働く人たちのようなプロフェッショナリズムは期待できないです。もう言語が違う。
ずっと人の問題です。この手のネタは山ほどありますよ。もう「かかってこい」みたいな感じですよね。ハードシングスは相当ネタを持っています。将来自伝を書くとしたら「いつもマイノリティだ」というタイトルにしようと決めているぐらいです。
物語思考で失敗を受け入れる
平野:ハードシングスを語ったら、お一人2時間ぐらい必要そうですね。大谷先生はいかがでしょうか。
大谷:僕のところ(クオトミー)は、人材が辞めてしまったとか、山本先生のような人にまつわる問題は今のところはないです。わりと共感してくれた人が多く来てくれているので。ですから、これから人が増えて、創業期の思いを共有できる人ではない人たちが来たときに、山本先生のように人に関する問題が出てくるのかなと思ってドキドキしています。
あとのハードシングスは、自分一人で落ち込んだりしていますけど、僕もネタにするというか、「この失敗は物語の途中だぞ」と考えるような、物語思考的なマインドでいるので、しんどいことは結構忘れています。
山本:うちの会社は資金調達をしていないので、ファイナンシャルなバックボーンが皆無なんです。そういう意味で、会社の運命への責任を共有できるパートナーがいないんです。どこまでいっても一人なので、「何があっても経営者の責任ですから」と人から言われるたびに崖っぷちを歩いている感じで、毎回追い詰められています。
大谷:たしかにそれはきついですね。勉強になります。
まとめ
これまで15回、「医師」という資格だけを共通点に、さまざまな方々のお話を伺ってきた100人カイギ。取れる選択肢が広い裏には、その選択肢に責任を負い、大変さも乗り越えるというプロセスがあったように思います。
ハードシングスとするか、ネタと考えるか。マイノリティであるということは、ニッチな分野で活躍しやすいと取るか。物は捉えようと言いますが、今回の登壇者の皆さんはここを上手く転化してきたように感じました。
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