いろんな考え事

無意識に、同棲のゴールを「彼と結婚すること」へ据えていた。

人間的に好きだから、結婚せずとも一緒にいつづけることも検討した。でも、一度結婚を期待してしまってから、無自覚だけどとても大きなパワーで執着していた。

彼は恐らく、婚活市場にポッと出たら女性が群がるタイプの人間だと思う。スペックで非がないのと、容姿に清潔感を持たせることができるうえに、性格が穏やかで女性と対等に話すタイプだからだ。

そんな人間を、ラッキーが起きて”確保”(この表現が失礼だが、あえてこのまま)できたのだから、絶対に手放さないで結婚までゴールインしたいと思っていた。私は男性の好みの幅がけっこう狭いので、ここまで好きで居続けることができる人は貴重だった。

でも、そうやって自分の欲望をよくよく解体すると、「彼と結婚したい」にとりまく思いはドロドロしていた。

結婚することで、未婚者よりも”勝つ”ことができる。既婚者です、と伝えて周りの人から「この人は既婚者だから大丈夫」と思ってもらいたかった。同棲しているのも、”現時点で結婚予定のパートナーがいること”をある種の勲章のように捉えていた。同棲できる私はすごいのだ、と。勲章のバッチにより自分の凄さを証明できる、と思っている節があるのだろう。

世間体というか、旧来の価値観に結構縛られているうえに、そこを実現するために彼を利用したいだけであったことが、だんだん分かってきた。

そして、「こんなにモテない自分が、こんなに良い人とたまたま付き合えたのだから、結婚までこぎつけないと逃げられてしまう」という不安があった。

何が不安か? それは「彼と結婚しないことで、自分が好きと思える人と結婚するチャンスを逃してしまい、独り身のまま生きていく可能性が高い」ことだった。

ひとりで生きていくこと自体はかまわないのだけど、自分が帰れる居場所のようなものが欲しくて、彼と一緒にいればそれが実現できると思っていた。そして、その居場所を”絶対になくならないもの”として社会的に縛りたくて、結婚に焦っていた。

でも、現時点で彼は結婚に同意していないわけなので、この願望は達成できない。残念ながら、自分が不安でつらくて仕方ない「独身のまま30代へ突入」というシナリオが達成されることになった。

一通りこの事に気付いてから、「それでもいいんじゃないか」と思った。もともと達成できなさそうだと諦めつつあった希望を目の前にぶら下げられて、嬉しくなって執着してしまっただけなのだから。SSR並みにレアなラッキーへ執着してダメだったのだから、いったんギュッと握っている結婚へのこだわりは手放して、ひとりで生きていけばいいんじゃないかと思った。

仕方がないな、って諦めの心がニョキニョキ生えてきた。そしてそれは、そんなに悪いことでもないのかな、と。

結婚や恋愛、同棲などに重きを置いて生きているこの価値観が、ひとりで生きていくことへの恐怖心を煽っているだけなのではないかと思った。ひとりでも十分生きていけるのだから、世間から「あいつは歳を重ねても独身を貫いてるから、正確に難があるに違いない」と偏見まじりに嘲笑されてもいいんじゃないか。

仮に嘲笑されたとて死にはしない。そういう価値観の人とは仲良くできなくなるだけ。生きていれば色々あるだろうから、もうその流れに身を任せようかと思う。

彼と一緒に住んだ時間はすごく楽しかったし、とても大切な宝物だ。誰が何と言おうと、本当に幸せに満ち溢れていた時間だった。愛情というものに満たされて生きるということがどういうことなのか、うっすら教えてもらえたと思っている。

…まだ同棲をやめるかどうか決めかねている状態ではあるけど、こうやって心の整理をつけていると、同棲を止める方が自然なのかなとは思う。でも、本当はずっと一緒に住み続けたいから、一緒に住んでも良いと思える理由を探している。

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