話し合い不足

同棲している生活がすごくすごく楽しくて、楽しい空間を”結婚”という名前でより強固にして、社会的にも認めてもらって、ふたりで楽しく生きていければいいなって思っていた。

お互いに部屋で各々やりたいことをやったり、リビングでのんべんだらりと雑談したり。それだけでいい、この生活を続けたかった。

しかし、彼は結婚するならば、自分のやりたいことはすべてやり切って、家庭のために時間を使っていいと思えてからがいい、と思っていた。彼から何度かこの話は聞いていたけど、今回ようやく腹落ちした。そうだったんだね。

今の生活を続けるために結婚したい私と、今の生活で取り組んでいることへ気が済むまで結婚する気のない彼。話が食い違うはずだよ〜って思った。

私は「なぜ、現状を変えることなく”結婚”というラベルを貼る作業が、そんなに腰の重いことなの?」と思っていた。もちろん結婚に付随していろんなことが発生することは認識していたけど、なるべく二人で快適に過ごせるようその辺りは頑張ろうと思っていた。

同棲開始時のマインドも違っていた。同棲開始してから1年経ったら、結婚するかどうか話そうという約束をして同棲したのだけど、私は「1年後は結婚するものだ」と思っていたが、彼は「1年経ったら考えよう」と思っていた。嘘でしょ…という気持ち。

だったら結婚の文字を出した時に同意しないで欲しかった。勝手に期待してしまった。そして、結局結婚の話を出したら「今は考えてない」という話が出てきて。悪気がないことはわかるんだけど、勝手に期待していた分、けっこう傷ついた。信じた自分がバカだったかなぁと少し思った。久々に何も疑わずに信じていたぶんメンタルへのダメージもけっこう大きかった。

自分のやりたいことを貫くスタンスをずっと表現されると、なんでこの人と結婚しようと思ったんだろうという黒い気持ちがニョキニョキ出てくる。だったら結婚の約束を安易にしないでよ、と思ったけど彼にとっての結婚は現実感がそこまでないんだろう。

20代前半で「結婚しよう」と言われて「えー…結婚自体はゆくゆくしたいけど、今は遊びたいな」と思っていた頃のことを思い出した。もうそのフェーズはとっくに終えているものだとばかり思っていた。

根本的に話し合いが足りていなかった。お互いが、お互いの考えを「当たり前」と思いすぎていて言語化していなかったから、今になってなんでこんなことに…となったんだなぁと思った。反省。

これが夫婦だったら、この状況の中で、妥協点を探して一緒にいる道を選ぶのだろうなと思う。ふたりで深海の深淵に入ったようにひっそりと、お互いの思いを言語化して話し合いをし続けるのだろう。それは私が”結婚”というラベルで手に入ると思っていた生活と全然違った形をしている。

今の生活を維持し続けるだけであれば、結婚せずに同棲し続ければ万事解決することは理解できた。結婚話なんて出さずふたりだけの空間で、まわりのことを気にすることなく社会的な責任を背負うことなく、楽しく過ごしていける。楽しいだろう。

でも、本当にそれでいいのかは分からない。話し合いがしんどいとしても、ちゃんとお互いの本音を腹を割って話して、生活を一緒に改善して過ごしていくほうが楽しいんじゃないかなって思ってしまった。それが結婚という形なのかは不明だし、そういうことをする相手が今の彼で良いのか分からないけど…

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