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思い出は抱えながら進みたい

寝る前、かならず彼(という名の元彼)のことが頭をよぎる。「お前がいなきゃだめだ〜!」という切実で重たい感じというより、道を散歩していたらたまたま会ったくらいの温度感で思い出す。

「いつまでも思い出すと前に進めないのではないか」という恐怖もあり、彼を思い出す自分そのものを手放すイメージをしてみた。頭の中でうすぼんやりとこちらへ微笑んでいる彼を、頭の中から追い出すような感じで。

そうすると、急に脳内の景色が崖みたいなものへパッと切り替えられて、彼が崖から落ちそうになっているシーンが鮮明に思い浮かんだ。私が彼の手を、崖の上からなんとか引っ張ることで、紙一重で落ちていないような感じ。この手を離したら、彼は崖の下に落ちてゆき、二度と思い出すことのない無の世界へ落ちていってしまうような恐ろしさがあった。

片手で彼を掴んでいるものだから、すごく手に負荷がかかっている感じがした。そして「この手を絶対に、絶対に離してはいけない」と静かに強く決意して、辛いけどぎゅっと彼の手を握り続けた。彼との楽しかった思い出や、これからも仲良くしていきたいと思える良い関係を紡げた自分自身への自己評価を、手放して無に帰すのは嫌だった。

彼との楽しい思い出すべてを手放すことは、心があまりにも痛くて、手放すことにより自分が深く深く傷ついてしまうことを感じた。べつに元彼との付き合いは至極クリーンだったし、正直ここまでして忘れなければいけない社会的・倫理的な理由があるわけでもない。

かつて若かりし頃に都合よく扱われる恋愛をしたとき、それでも好きだからいつか振り向いてくれるかなと思いながら耐え忍び、最終的に「会うのをやめようと思う」と電話したら「そっか!じゃあね」と電話を切られた日のことを思い出した。あの時に行動してなぁなぁさを断ち切れたことは、本当に勇気があり素晴らしいと思う。一方で、その後に負った心のダメージがとても大きく、しばらくまっとうな恋愛ができなかったし、生活していても心に大きな空洞が開いた気持ちになり苦しかった。

ああいう状態になると、自分の人生そのものへ負の影響が大きすぎる。あの時は無理やりにでも忘れて前に進みたいという理性が大きかったし、そうすることが自分のためだと思えてどこか希望を持てていた。

でも、今回はそうじゃない。だから、むやみに自分を傷つけたくないし、思い出を丸ごと否定したくなかった。だから、崖の上で静かに「彼を手放しても良いや」と思えるまで、辛い気持ちを維持し続けることはやめようと思った。彼を崖から落ちないようによっこらしょ!と救い上げるイメージをしたら、崖っぷちの脳内イメージはすっと消えていった。

彼を無理やり心の中で殺す必要はない。別れ際に、結婚したい思い等々は一度滅却を試みて、同棲中の部屋で静かにしくしく泣きはらしたのだから、これ以上彼を心の中から喪失させる必要はない。

忘れられない思い出は、「忘れた方が良いのかどうか分からないけど、今は手放したくないから、抱えたまま生きていこう」と思った。大好きで大切にしたい思い出や彼との関係を捨てる自分よりは、大切に抱えていつか手放しても良いと思えるまで持って生きていこうと思う自分の方が、自分を大切にしている気がした。

自分に甘いのかもしれない。だけど、自分以外の誰が、自分に甘く優しくしてくれるというのか。自分を追い込んで、ちょっと辛いけど仕方ないなと思いながら生きて、その追い込んだことによる辛さが鍾乳洞の氷柱を作るように心を蝕んでいったら? ある日急に、理由もわからずに無気力になり何もやる気がなくなって、仕事をできなくなったら? 誰も責任を取ってくれないだろう。

きっと、いつか何かが起きれば、この思い出などを大切に保存しつつも手放して良いかなと思えるタイミングがきっと来るはず。だから、この気持ちを否定することなく、自分の中で大切な持ち物として認めて、一緒に未来に向けて歩いていこうと思う。

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