おじさんVSライター さて種目は…
最近知り合ったおじさんに
「へぇー、きみライターなのか。じゃあなんか書いてくれよ。そうだな…、じゃあテーマは『大切だった人』で頼むわ」
と言われた。
職業詐称すればよかったなと思った。次に会う当日、家を出る30分くらい前にささっと書いた。だいたい1000字くらい。
おじさんに紙ペラを渡すと30秒ほど読んで眉間に皺を寄せ
「何も伝わってこん……。君のことも大事だった人のことも。厳しいテーマだっていうならもういいわ」
と言われた。
「じゃあもう一回書いてきていいすか?」
「もちろん」
家に帰って四時間くらいかけて書き直した。だいたい8000字くらいになった。
次会ったときちょっとした紙束をおじさんに手渡した。
「ボリューム的にどうすか?」
「それは読んでから考える」
目の前でおじさんはメガネを外し、黙々と読み始める。沈黙の時間が5分くらい?続く。目のやり場に困る。おじさんは
「ふーん」
「はぁん」
「ほぉ」
と言いながら眉間に皺を寄せる。
目の前で私の書いた文章を私のことをよく知らない人間が読んでいる。
ゾクゾクしてきた。
漫画を出版社に持ち込む漫画家志望や、無差別に自分の裸を見せる露出狂もこんな高揚感があるのかなと思った。そんな趣味がなくてよかったとホッとした。
「うん、読んだよ」
「キミ、これまでフラれた相手のこといっぱい書いてるけど、そういう相手でもけっこう誉めるんだね」
「ひとつひとつのタイトルも面白いし、キミの人の見方も登場人物も、みんな好感が持てる」
そんなに誉めてたかな?と思って自分でも読み返した。悪いエピソードもそれなりに書いてたけど、楽しかった思い出も言われてみればそれなりに書いている。
あんまり思い出したくない人と、たまに思い出したくなる人を交互に書いたからか、思い出したくない思い出もそう悪いものではなかったのかな?と感じた。
大事“だった”人っていうタイトルではあったけれども、文章に登場した人たちは今でもこれからも自分の中では大切な存在なんだなと気付いた。
「とてもよかった。またなにか読ませてよ。今度のテーマはキミが決めていいから」
思い出したくないこと、向き合いたくないことがずっと自分の中にあって悩んでいた。でも、文章にして他人に読んでもらうことで、少しだけ気持ちが軽くなったと思う(裸を見られているようでとても恥ずかしい気持ちもあるけども!)。またおじさんに自分の書いた文章をぶつけることがあるかもしれない。いい思い出と悪い思い出を織り混ぜながら。
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