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神をあたまの中に飼う(あるいはジャンケットバンクPPP決着と俺の旧友について)

 “王者”と呼ばれた男がいた。

 何となく察してくれると思うが別にいい意味じゃない。おれの中高の知人、あるいは友人のようなものだった。何故“王者”などと呼ばれているかというと彼が運営していたブログにその由来があるのだがまあ、そこは割愛する。

 彼の振る舞いは“王者”のようであった。ありとあらゆることに嘴を突っ込み、いかに己の優れたるを表現する状況につなげるかにいつも躍起になっていた。浪人時代、おれは予備校で彼に再会した。彼は東大以外の大学がいかにクソで行く価値のないものかということをおれに延々と説いた。その手には“単語王”があった。

 彼は当然のように東大に落ちた、というかセンターの足切りもクリアできていなかったと思う。思う、というのは記憶がいまいちおぼろげだからで、おれは彼のそういう実力に不相応なふるまいがほとほと情けないものだと思っていたし、彼を反面教師として自省的であろうとしてきた。だが最近思ったのだ、彼の振る舞いはある面で正しかったんじゃないかと。


 きっかけは現時点のヤンジャンで決着を迎えたピーキーピッグパレス編を読み終えたことだ。結末についてはひとまず置き、ここでは天堂弓彦の話をする。


流石のマフ2さんも汗をかく異常者

 己を神と定義し人の子らを導く(?)ことを使命とする天堂弓彦は間違いなく狂人の類だ。いや、ジャンケットバンクには狂人しか出てこないと言われたらそうだよねとしか言いようがないのだがそこはさておき。村雨先生の言葉を借りるのであれば“自己愛が肥大しすぎて妄想に囚われたマヌケ”が彼だ。

このコマ好きすぎて永久に見てる

 ところが、この天堂弓彦、隔絶した意志力と自我でゲームを“主体的に”支配する。“彼は自分が神様じゃないと分かった上で、自分を神様だと信じている。世界がどう見えるかを決めるのは、自分の意思だと知ってるから”


超自我(誤用)

 おれは“反面教師”を忌避するあまりあまりにも自分の主体性とか意志とか、生命力みたいなものを毀損していなかっただろうか。世界の見え方を決める力を軽んじていなかっただろうか。今も“王者”は愚かな奴だったと思う。それは動かしがたい事実だ。おそらく彼にもいろんな思いや葛藤はあったと思うし、天堂弓彦のような実力者では断じてない。己をライオンに見せようとしてたしどっちかって言うと獅子神さんタイプ。でも、すくなくとも彼は何に対しても積極的だったし、己の置き場を自分で決めることだけは間違いなくやっていたと思う。一方で俺は村雨先生から頭の良さを差し引いたようなことをしてなかっただろうか……それってマジでただの異常に嫌な奴だな。やめた方がいいよ。

 とにかくだよ? 俺は客観的に“客観的に見て俺はクソ”って診断を自己に一生下し続けてきたわけですよ。大学生あたりからずっと今に至るまで。でもそれってだから何なんだ?そこ客観性担保出来てもどうしようもないじゃんな。精々が予言の自己成就的な感じで、クソである自分についつい逃げ込んでしまうようになるかもしれない、いや、なった。そろそろおれも“王者”に、いや神になるべきなんじゃあないか? おれを愛し、おれを信仰し、“自己愛で脳がいかれたマヌケ”に漸近して踊るべきなんじゃないの?


 

なんか失敗しちゃったらさ、「神は全能だ、当然反省も出来る」を振りかざしていこうじゃないの。今日からおれがおれの神!


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