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そして僕は仕事を辞めた

 一年にも満たない期間勤めた工場を辞める事になった。備忘録として、その際の自分がどう考えて退職に至ったかについてざっくりと書き記しておきたい。別に大したことない職場なので、はてなとかに転がってるカッコいいエントリとは全く関係ない、社会的雑魚の敗戦記録だ。


・11〜12月
年末は深夜勤でラインを動かしていた。リクルート時の面接では滅多にないと言われていた深夜勤であるが、恐らく本邦における“滅多にない”と、8ヶ月中3ヶ月の深夜勤(6月頃にも1ヶ月あった)は意味的近接を為さないように僕には思われた。深夜であるがゆえに何時間も誰とも喋らない日々が続いた。深夜勤の間、僕には三つの懸念事項があった。

 一つは単純な物寂しさだ。僕は自身のことをかなり長い間「人間嫌い」にカテゴライズしていたのだがこれは大きな間違いで、単なるどこにでもいる、人付き合いが苦手な寂しがり屋でしかなかった。空白を埋めるために夜勤中、僕は一人でアニソンを熱唱してるところを課長に見つかり、精神のバランスを心配されたことさえある。こんな自分にとって夜勤は緩慢な拷問ですらあった。

 二つ目は体調の問題だ。僕自身の患うアトピー性皮膚炎に、夜勤生活は明白な悪影響を与え続けていた。降り注ぐ朝日と共に寝る生活は確実に自身を蝕んでいたと思う。

 最後の一つはより実質的な問題だ。自身がより前に進めてある実感の欠如である。これには少し補足が必要かもしれない。

 人数の少ない深夜勤の仕事である以上、機械の異常には一人で対処することになる。これは換言すると「一人で対処できる程度の仕事しかラインで発生しない」という事でもある。ひいては、ある種のトラブルシューティングなど発生しないのが深夜勤の理想である、とも言えると思う。僕のいた会社はある種の社員教育の類は殆どなく、よって扱う機械に関する知識の殆どは、自身や誰かの失敗からのフィードバックによって為されていた。

 失敗からのフィードバックの期待出来ない深夜勤に従事しながら、僕は「6月の新夜勤の頃と俺自身は全く変わっていない」という思いに取り憑かれるようになった。同期の人間がフォークリフトや、食品衛生管理の資格の勉強をしているのを横目に、僕は段ボールを積み続けた。

 そして年が明け1月、夜勤の類の割合を減らし、何かを学ばせてはくれないかと相談をしようと考えていた矢先である。知らないうちに世話になった先輩が職場から姿を消していた。


・関係の耐えられない希薄さ
この事は僕にとって大変な衝撃だった。その日のうちに退職を強く決意した。ただ先輩が辞めた事が衝撃だったのではない。先輩が辞めて、半月以上の間、それが部署内に全く周知されていなかった、その事実に僕は恐れ慄いた。同じ屋根の下で働く仲間が職場を去るんだぞ?先輩は、あまりにも静かに去っていった。恐らく人生のかなりの時間を過ごすことになり得る職場で生まれる人間関係の例として、僕にとって許容できるものではなかった。

 僕はおよそ二十人前後のこの課で、この8ヶ月余りで辞めていった人間の顔を思い浮かべた。8人だ。8人いなくなった。そのうちの殆どの人間は、気付いたら辞めていた。こんな物寂しい人間関係があってたまるか。

 課長からは慰留を打診された。僕は何一つスキルも何もあったもんじゃない役立たずではあるが、それでも人手としては評価されていたようだ(工場やレストラン勤務経験のある方には明白だろうが、“人数”というファクターはそれだけで大きな意味がある)。勿論丁寧にお断りした。リクルート時に説明されていた「他部署への転属可能性の有無」やボーナス形式に関する嘘、何よりその説明をした総務課の人間すら既に退職しているという事実も、「この会社に下駄を預けられない」という思いを後押しした。


 会社で働くメンバーが嫌いだった訳では決してない。けれど、この空気に耐えられない自分を殺し続けることはやはり出来なかった。己の社会性の無さを恥じるばかりだ。



 現在、この空白の期間を利用して映画を三本ばかり観た。フォードvsフェラーリ。パラサイト。そしてミッドサマーだ。いずれも方向性を大きく異にするが、傑作と評するに躊躇のない素晴らしい作品だったので、まだご覧になられていない方にはおおいにオススメしたい。




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